1970年のNHK大河ドラマ『樅ノ木は残った』を、総集編で見た。
平幹二朗の原田甲斐は良かった。ただ、見終わって残ったのは甲斐本人よりも、甲斐のまわりにいる人たちの顔と声だった。
甲斐という人物そのものは、少し前に聞いた山本周五郎の短編『晩秋』の進藤主計とよく似ていると思った。
以下、結末に触れる。
伊達騒動を調べてから見た
見始めてすぐに、これは伊達騒動を知らないままでは追いきれないと思った。いったん止めて、騒動のあらましを調べてから続きを見た。
伊達騒動は、江戸時代の前半に仙台藩の伊達家で起きたお家騒動だ。
始まりは万治3年(1660)で、藩主の伊達綱宗が不行跡を理由に幕府から隠居を命じられた。跡を継いだのは、まだ2歳の亀千代だった。政宗の十男にあたる伊達兵部が後見役となり、家老の原田甲斐を重く用いて藩政を動かした。
兵部の政治は厳しかった。寛文11年(1671)までに兵部らが処罰した者は120人にのぼり、そのうち17人が斬罪や切腹になっている。これに反発した一門の伊達安芸が、兵部らの不正を幕府に訴え出た。翌年、大老・酒井忠清の屋敷で尋問が行われる。その席で安芸は甲斐に斬られ、甲斐もその場で討たれた。兵部は土佐へ流された。内紛の真相ははっきりしないまま終わったが、藩そのものは存続を許された。

長いあいだ、甲斐はこの騒動の悪人とされてきた。浄瑠璃や歌舞伎でも、兵部や甲斐は家の乗っ取りをたくらむ悪人として、安芸たちは忠臣として描かれている。『樅ノ木は残った』は、これをひっくり返した。原作は甲斐の行動を、藩のことを考えたものとして描き直している。ドラマもその見方をそのまま使っている。
ここを先に押さえておいたので、甲斐が何を考えて兵部に近づいているのか、迷わずに見ることができた。この記事は、そのうえでの感想になる。
平幹二朗より、佐藤慶の動かない顔

平幹二朗の甲斐は良かった。それでも、より強く目に残ったのは敵の側の人たちだった。
伊達兵部を演じる佐藤慶は、最後まで表情をほとんど変えない。陰謀を巡らせているときも、追い詰められていくときも、顔が動かない。悪役として、それがいちばん怖かった。

酒井雅楽頭の考えを支持する久世大和守を演じる岡田英次は、しゃべり方が独特だ。味方なのか敵なのか、聞いていてもよく分からない。甲斐にとって本当に危ない相手が誰なのかを、この声がずっとぼかしていたように思う。
たよと宇乃、それから広瀬すず

甲斐の若い頃の恋人・たよを演じる栗原小巻は、とにかくかわいらしかった。
宇乃の吉永小百合は、普通にきれいだった。ただ、これといって大きな印象は残っていない。

それよりも気になったのは、ちょっと幼げなその表情だ。少し前の広瀬すずの表情に似ていた。
どこがどう似てるのかは説明はつかないが、輪郭とか目鼻立ちとか・・・まあざっくりするとその辺りである。
一度考えてしまうと、宇乃が出てくるたびに広瀬すずを思い出すようになった。後半は、ほとんど広瀬すずのことばかり考えていた気がする。
甲斐と主計は、同じことをしている
見ていて思い出したのが、同じ山本周五郎の短編『晩秋』だった。

『晩秋』の進藤主計は、藩の基礎を固めるために憎まれる政治を引き受け、部下を死なせた。原田甲斐も、伊達家を守るために兵部に取り入り、まわりの人間を巻き込んでいく。二人のやっていることは、よく似ている。
未来のことを考えるあまり、身近な人間を犠牲にしてしまう人。そういう解釈でいいのかどうかは、正直まだ分からない。
ただ、二人とも最後には、自分で責任を取ろうとする。そこだけは、はっきり同じだった。
まとめ
伊達騒動を調べてから見たおかげで、話の筋に迷うことはなかった。そのぶん、筋より人の顔に目が行ったのかもしれない。
動かない佐藤慶の顔、敵か味方か分からない岡田英次の声、栗原小巻のかわいらしさ。宇乃の場面では、つい広瀬すずを思い浮かべた。
そして甲斐は、『晩秋』の主計と同じ道を歩いた人に見えた。まわりを犠牲にしながら、最後は自分で責任を取る。山本周五郎は、こういう人を何度も書いた作家なのだろうか。それを確かめるために、もう少し周五郎を読んで(聞いて)みたいと思う。

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