アメリカ映画– tag –
-
鑑賞ノート
愛かプライドか?クレスピ博士の歪んだナルシシズムを解剖する
1935年に公開されたリパブリック・ピクチャーズの怪奇映画『The Crime of Doctor Crespi』(邦題:ドクター・クレスピの犯罪)は、エドガー・アラン・ポーの「早すぎた埋葬」を下敷きにした低予算ホラーである。 出典:YouTube しかし、この映画を単なる「... -
鑑賞ノート
二つの真実―ヒッチコック『Mary』と『Murder!』が映す時代の光と影
1931年、アルフレッド・ヒッチコックは自身初めて、そして唯一となるドイツ語映画『Mary』を世に送り出した。 前年に制作した英語版『Murder!(殺人!)』の別バージョンとして企画されたこの作品は、同じセットを使用しながらも、異なる魅力を放つ作品と... -
鑑賞ノート
感謝祭のごちそうは、煮た靴だった――『黄金狂時代』の笑いと飢え
1925年に公開された『黄金狂時代』で、いちばんよく知られているのは、空腹のチャーリーが自分の靴を煮て食べる場面だ。靴紐をスパゲッティのように巻き取り、靴底の釘を骨のようにしゃぶる。何度見ても笑ってしまう。 だが、この場面のもとになったのは笑... -
鑑賞ノート
『バイオハザード: ウェルカム・トゥ・ラクーンシティ』は、ゲームをやった人へのご褒美映画だった
『バイオハザード: ウェルカム・トゥ・ラクーンシティ』を見た。結論から言うと、予定外に面白かった。ただし条件がつく。ゲームをやったことのある人なら、という条件だ。 公開当時、YouTubeには期待外れというレビューがいくつも上がっていた。だから、... -
鑑賞ノート
『ジキル博士とハイド氏』(1931)|二人のハイド、異なる恐怖と悲劇
1920年の無声映画『狂へる悪魔』に続いて、1931年版『ジキル博士とハイド氏』を観た。 同じ小説を原作とする二作品だが、ハイド氏から受ける印象は大きく異なっていた。1920年版では気味の悪さを感じたのに対し、1931年版では人間の欲望と残酷さに恐怖を感... -
鑑賞ノート
『狂へる悪魔』(1920)感想|ジョン・バリモアは表情だけで別人になる
1920年制作のアメリカ映画『狂へる悪魔』を観た。 原題は『Dr. Jekyll and Mr. Hyde』。ロバート・ルイス・スティーヴンソンの小説『ジキル博士とハイド氏』を映画化した作品である。 何より驚いたのは、主演ジョン・バリモアの演技だった。 同じ俳優がジ... -
鑑賞ノート
ヒッチコック『殺人!』と『メアリー』── 1930年代の英独で描かれた差別と偏見
深夜の劇場で響く女性の悲鳴。暖炉の火掻き棒を手に呆然と立ちつくす若手女優。そして、陪審員席で苦悩する名優の表情──。1930年に公開されたアルフレッド・ヒッチコック監督の『殺人!』は、このような印象的なシーンの連なりによって、観る者の心を鷲掴... -
鑑賞ノート
ヴェルヌが書かなかった殺人事件——『地底探検』(1959)はなぜ「敵」を必要としたのか
ジュール・ヴェルヌの『地底旅行』を初めて読んだとき、私は驚いた。映画『地底探検』(1959)の印象が強烈だったからだ。 映画では、物語の序盤で学者が何者かに殺害され、主人公たちも命を狙われる。緊迫したサスペンスが全編を貫く。ところが原作には、そ... -
鑑賞ノート
機械に判断を委ねる恐怖——1983年の映画が、2026年のAI社会を予言していた件 『ウォー・ゲーム』(WarGames、1983年)
あの頃、ぼくはテレビに釘付けだった 小学生のころ、テレビで何度も見た映画がある。 『ウォー・ゲーム』だ。 当時のぼくにとって、この映画のどこが面白かったかといえば、主人公の少年がコンピュータをいじくり回してハッキングするシーンの格好よさ、そ... -
鑑賞ノート
独裁者を笑え――『担へ銃』から『独裁者』へ、チャップリンが22年かけて完成させた「権力への嘲笑」
はじめに 1918年10月、第一次世界大戦の休戦協定締結まで残りわずか数週間という時期に、チャールズ・チャップリンの短編映画『担へ銃』が公開された。その22年後の1940年、チャップリンは長編トーキー映画『独裁者』を世に送り出す。 二作品の間には二つ...