『MW-ムウ-』二人をつなぐ糸が抜かれた映画

『MW-ムウ-』(2009年)は、一本のサスペンス映画として面白かった。最後まで退屈しなかった。ただ、観終わっても「手塚治虫の作品を観た」という感じが残らなかった。

原作は読んでいない。何が足りなかったのかは、後から原作のことを調べて、少し分かった気がする。

以下、原作の重要な設定と映画の展開に触れる。

目次

面白かったのに、手塚治虫がいない

手塚治虫のどこが好きかと聞かれると、実はうまく答えられない。それでも、あの人の作品には独特の世の中の見方のようなものがある。読み終えたあとに、それが残る。

この映画にはそれがなかった。島で起きた惨劇と、その隠蔽。生き残った二人の16年後。題材は重いのに、観ている間の手触りはよくできたアクションサスペンスだった。

タイでのロケも、カーチェイスも派手で、見応えはある。話としても面白い。でも、面白さの種類が手塚治虫のものではなかった。

後から知った二人の関係

観終わってから原作について調べた。原作では、結城と賀来の間に同性愛の関係があり、それが二人を縛る根っこになっているらしい。

映画の賀来は神父で、結城の悪事を知りながら離れられない。その理由として見えたのは、「同じ事件の生き残り」ということくらいだった。観ている間は気にならなかった。でも原作の設定を知ると、話が変わる。二人を結ぶいちばん太い糸が、映画からは抜かれていたことになる。

原作どおりにやっていたら、アクションはほとんどいらなかったのではないか。離れられない男と、離さない男。その関係だけで、もっとしっとりした、濃いサスペンスになった気がする。映画は、抜いたところを派手な場面で埋めたように見える。

玉木宏は新鮮、山田孝之はもったいない

この映画でよく言われるのは、玉木宏の悪役ぶりだ。爽やかな役の印象があったぶん、たしかに新鮮ではあった。ただ、それなりに、という程度だった。

気になったのは山田孝之のほうだ。この映画では、山田孝之のよさをほとんど感じられなかった。こういう役もできるのだから、幅の広い役者だとは思う。でも、この映画の賀来は苦しむばかりで、話を動かさない。二人の関係の根っこを抜かれた役では、演じる側も手の置き場がなかったのかもしれない。

もう一度観たいとは思わない

ストーリーは面白かった。それは本当だ。でも、もう一回観たいかと聞かれると、そこまでではない。

代わりに、原作を読んでみたくなった。映画が良かったからではない。映画で抜けていたものを、自分の目で確かめたいからだ。

 

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