『メトロポリス』(1927)の機械人間は、顔を持つ前がいちばん美しい

『メトロポリス』を観て、いちばん目を奪われたのは、マリアの姿になる前の機械人間だった。人間の皮膚をまとう前の、金属の体のままのロボット。百年近く前の映画なのに、あの造形はいまも十分に美しい。

ただ、観終わってから考えると、このロボットが美しいままでいられる時間はほとんどない。人間の顔を与えられた瞬間から、男たちの都合で使われる道具になる。その扱われ方が最後までぶれないから、この映画の物語は思っていたよりずっとしっかりしている。


目次

顔を持つ前の機械人間

このロボットは、もともと発明家ロートヴァングが、ヘルという女性の姿を取り戻すために造っていたものだ。

ヘルはかつて、ロートヴァングと、のちに都市の支配者となるフレーダーセンの二人に愛された。彼女はフレーダーセンを選び、息子フレーダーを産んだあとに亡くなっている。

つまりロボットは、完成する前から「失った女の代わり」として設計されている。金属の体のままの姿が美しく見えるのは、まだ誰の顔も押しつけられていないからだと思う。


マリアの顔を与えられたあと

そこへフレーダーセンが注文をつける。労働者に慕われているマリアとそっくりの機械人間を造れ、と。偽のマリアに労働者を扇動させ、彼らの団結を内側から崩すのが狙いだ。ロートヴァングは本物のマリアをさらい、その姿をロボットに写し取る。

顔を得たロボットが最初にやるのは、地上の男たちの前で踊り、彼らを狂わせることだ。次に地下へ降り、機械を壊せと労働者をあおる。どちらもロボット自身の意思ではない。

ヘルの代わりとして造られ、マリアの代わりとして使われる。持ち主の目的が変わっただけで、ロボットはずっと誰かの代用品のままだ。しかもロートヴァングにとっては、フレーダーセンへの復讐の道具でもある。一体のロボットに、二人の男の欲望と支配が重ねられている。


火の中で元の姿に戻る

暴動の末、自分たちの子どもが死んだと思い込んだ労働者たちは、偽マリアを魔女として火あぶりにする。炎の中で人間の皮膚が溶け、金属の体が現れる。

ここでロボットは、ようやく最初の姿に戻る。いちばん美しかった姿が、いちばんむごい場面で戻ってくる。誰かの顔を押しつけられていた時間の終わりを、この映画は破壊という形でしか描けなかった。


「階級の映画」として観ると見落とすもの

『メトロポリス』は、支配者と労働者の対立を描いたディストピア映画として語られることが多い。それは間違いではない。ただ、そういう見方をすると、機械人間は「扇動の装置」という役割に収まってしまう。

ロボットの側から観ると、階級闘争の物語の下にもう一本、女の姿をした機械が男たちの間で使い回される話が通っている。ストーリーが意外としっかりしていると感じたのは、たぶんこの線がぶれないからだ。

ヘルの因縁は、現在観られる長い版で補われた場面によって、より具体的になっている。この因縁が見えるかどうかで、ロボットの意味はかなり違って見えるはずだ。


結末の握手が置き去りにするもの

そのぶん、結末には引っかかる。フレーダーが間に立ち、支配者と労働者の代表に握手をさせる。物語は「頭脳と手の媒介者は心でなければならない」という標語に着地する。

労働者の過酷な環境がどう変わるのかは描かれない。そしてロボットのことは、もう誰も気にしていない。あれだけ男たちの欲望を背負わされた存在が、燃えて片づけられたまま、和解の場面が始まる。

脚本のテア・フォン・ハルボウはのちにナチスに傾倒した人物で、この結末には当時の思想が反映しているという批判もある。ラング自身も、結末には不満だったと伝えられている。


映像の力で最後まで観せてしまう映画だ。それでも結末だけは、いちばん美しかったものを置き去りにした和解に見える。

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