2026年– date –
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鑑賞ノート
村が燃えるまで——『屍鬼』における怪物と正義の所在
GWに帰省していた姉が「面白い」と言うので、見始めたのが『屍鬼』(2010年)だった。 朝ごはんを食べながら、一話ずつ。気軽な気持ちで。山に囲まれた古びた農村に吸血鬼が来る話、くらいの認識で画面をつけていた。前半はそれでも成立していた。怖いこと... -
鑑賞ノート
ジャズが似合う男になりたくて――SEATBELTSと『カウボーイビバップ』が描く生き方
私がアニメを見るのは、数年に一本あるかないかだ。正確に言えば、「ハマる」アニメに出会うのが、それくらいの頻度ということになる。多くの作品が素晴らしいことは理解しているつもりだが、どうしても心の琴線に触れるものは少ない。そんな私が『カウボ... -
鑑賞ノート
なぜ我々はマレフィセントに惹かれるのか? – 善を凌駕する「純粋な悪」の魅力
ディズニー映画『眠れる森の美女』を観たとき、私たちの心に最も深く刻まれるのは、オーロラ姫の優雅な美しさだろうか。それとも、フィリップ王子の勇敢な姿だろうか。もちろん、それらも物語の重要な要素だ。しかし、多くの人がこの作品を語るとき、主役... -
鑑賞ノート
橋本環奈より佐藤二朗を見ていた──『トクメイ!警視庁特別会計係』全話考察
「捜査に金は必要だ」と叫ぶ刑事たちと、「それでも一円たりとも無駄にはできない」と立ちはだかる会計係の女性警官。一見コメディタッチに見えるこのドラマが、終盤にかけて警察組織の腐敗と、一人の父親の絶望的な復讐劇へと変貌していく──それが2023年... -
鑑賞ノート
なぜ日本の透明人間は“善人”なのか? – 日米『透明人間』像から透ける、罪と罰の倫理観
もし、誰の目にも見えなくなったら、あなたは何をするだろうか。 この根源的な問いは、古くはプラトンの『国家』に登場する「ギュゲスの指輪」の逸話から、現代に至るまで、私たちの倫理観を揺さぶり続けてきた 。姿が見えないという究極の自由と匿名... -
お店と日々
子どもが苦手だった僕が、朝の横断歩道に立つようになった話
先日、「子供のSOSを受け止める『110番の家』が減っている」という記事を読んだ。 高齢化や共働きの増加によって、地域で子どもを見守る仕組みが空洞化している、という内容だった。 その記事を読んで、少し他人事ではない気がした。 うちの店の玄関にも、... -
鑑賞ノート
江戸川乱歩「百面相役者」考察|Rは百面相役者ではなく、“それを殺した男”なのか
はじめに 江戸川乱歩の短編『百面相役者』は、読了後に「結局、何が真実だったのか」と考えさせる、不思議な余韻を残す作品である。 明確な犯人も提示されず、決定的な真相も示されない。それにもかかわらず、いったんは納得したような感覚を与えられる。... -
鑑賞ノート
スペイン、延長の一撃で世界を取り戻す スペイン 1-0 アルゼンチン
ワールドカップの最後の一試合は、現地時間では夜ではなかった。 ニューヨーク・ニュージャージーの空の下、決勝は午後に始まった。スタジアムには明るさが残り、選手たちは昼の光の中で世界一を争った。だが、日本で見ているこちらにとっては、やはり眠気... -
鑑賞ノート
ストーリーより配役に驚いた1本――2012年『黒の女教師』の話
Amazonで偶然見つけた、見たはずなのに覚えていないドラマ 先日、Amazonをぼんやり眺めていたら「黒の女教師」というタイトルが目に留まった。どこかで見た覚えがある――そう思って調べてみると、2012年にTBSの金曜ドラマ枠で放送された作品だった。榮倉奈... -
鑑賞ノート
吸血鬼はいつから日光で死ぬようになったのか?――1922年「吸血鬼ノスフェラトゥ」
やっと辿り着いた、すべての始まりへ ホラー映画好きとして、死ぬまでに観ておきたい映画がいくつかある。『エクソシスト』『サスペリア』『悪魔のいけにえ』。そうした定番は一通り観てきたつもりだったが、正直に言えば、ずっと避けてきた一本があった。...