今しか味わえない「AIの不自然さ」という熱狂──『タワマンシャーク』と過渡期の映像文化

YouTubeを開くと、ふと奇妙なサムネイルが目に留まった。

不動産投資系チャンネル「楽待」が公開したショートムービー『タワマンシャーク』である。少し覗いてみると、要するに「高騰しすぎたタワーマンション」を題材にした話だった。

本来であれば、都心のタワマン高騰といった話題は、ここ鞆の浦での静かな暮らしからは遠い世界の出来事であり、自分から進んで見るようなテーマではない。しかし、AIによって生成されたZ級サメ映画風の物語があまりにも面白く、ついつい最後まで見てしまった。驚くべきは、ただ笑えるだけでなく、不動産市況という本来なら堅苦しいはずのテーマが、非常にわかりやすく頭に入ってきたことだ。

なぜ、私は普段見ないはずの動画にここまで引き込まれてしまったのか。そこには、現在のAI技術とエンターテインメントの間に起きている、ある「逆転現象」が関係しているように思う。

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「未完成」であることが価値になる

現在、誰もがChatGPTやClaude、Geminiなどのテキスト生成AIを日常的に使いこなし、精度の高い文章を生み出している。一方で、「動画生成AI」はまだ発展途上の段階にある。

AIが生成した映像には、どこか物理法則を無視したような動きや、質感がヌルリと変化する特有の「破綻」がつきものだ。通常、商業用の映像作品において、こうした不自然さは「ノイズ」や「低品質」として排除されるべきものとされる。

しかし、『タワマンシャーク』はこのAI特有の「不自然さ」を、B級・Z級サメ映画という文脈に放り込んだ。

サメ映画というジャンルは、もともと「サメが竜巻に乗って飛んでくる」「雪山を泳ぐ」といった不条理やツッコミどころを楽しむ文化だ。そこにAIの生み出す「奇妙な映像の歪み」が加わると、ノイズであるはずの破綻が、エンタメとしての「味」に反転する。完璧ではないAIの映像表現が、むしろ最大の武器として機能しているのだ。

少し先の未来から、この「不自然な時代」を振り返る

この現象は、おそらく今の過渡期だからこそ楽しめるエンターテインメントだと言える。

あと数年もすれば、動画生成AIは実写と見分けがつかないほど完璧で、物理法則も正確に再現できる映像を誰でも簡単に出力できるようになるだろう。その時、映像の「不自然さ」は消え去り、AIで作られた映像はごく当たり前の日常風景になる。

だからこそ、いま私たちが『タワマンシャーク』を見て感じる「AIならではの奇妙な面白さ」は、後から振り返ると、とても貴重な時代の記録になるはずだ。

堅いテーマを、最新技術のバグすらも利用して物語にしてしまう。そんなしたたかなコンテンツ消費のあり方を、少し先の未来から眺めれば「あの頃のAI映像は、変な味があって面白かったよね」と語り草になるのかもしれない。

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