なぜ彼はこの話をしたのか――大坪砂男『浴槽』、答えのない問いが残る20分間

列車の中で、見知らぬ青年が話しかけてくる。

彼は「面白い事件があった」と言い、温泉宿での謎の女性の死を語り始める。語り口は淀みなく、事件は事故として処理済みだという。普通ならここで終わる。

しかし相手はよりによって探偵小説家だった。

大坪砂男の短編『浴槽』(1950年)は、語ることそのものが疑惑を生む構造をもった作品だ。事件の謎よりも、「なぜ彼はこの話をしたのか」という問いのほうが、読後ずっと頭に残る。


目次

あらすじ

探偵小説家の「私」は、碓氷峠を越えるアプト式列車の車内で、前の席の青年と言葉を交わす。青年は「私」が持っている本の表紙(ハイライト著『密室殺人事件』)を目ざとく見つけ、「探偵小説がお好きですか」と声をかけてくる。「私」が生業として小説を書いていると知ると、青年は「それならちょうどいい話がある」と言い始めた。

青年の叔父はS高原にあるK湯という温泉宿を経営している。その正月、天皇一家の「或る方」がスキーの練習に来ることになっており、青年も手伝いのために呼ばれていた。宿泊客が皆ゲレンデの競技会に出かけて宿ががらんとしていた午後、青年は賓客専用の浴場の湯加減を確認しに行った。

その浴場は奥座敷から二百坪ほど離れた場所に孤立して建っており、渡り廊下の入口と浴室の二か所に鍵がかかっていた。普段は使われていない浴場だ。青年は鍵を開けて脱衣所を抜け、仕切りのガラス戸を開けて浴室に入った。湯気が立ち込めていた。湯かき棒で浴槽をかき回そうとしたとき、棒の先に黒いものが絡みつき、次の瞬間、大きな白い影がゆらりと動いた。

それは若い女性の死体だった。パーマの髪を乱し、黒い目を見開いて、青年を睨みつけるような顔で浮かんでいた。

青年は褌一つのまま巡査の控室へ飛び込んだ。年配の私服警官二人を連れて浴室に戻り、死体を引き上げると、全裸の若い女性だった。浴室の窓を開けると、屋根から下ろした雪が積み上がった陰に、スキーから手袋、眼鏡にいたるまで女性の服が一式脱ぎ捨ててあり、スキーの跡が一筋だけついていた。雪は他に乱れておらず、女性が一人でやってきたと判断された。

死体に外傷はない。当局の結論は事故死だった。寒い戸外からいきなり熱い湯に入ったことで脳貧血を起こし、意識を失って溺死したのだろう。女性の目的は「戦後派娘の虚栄心」――評判の「お方」と同じ湯に入りたいというスリルを味わうためだったと推測された。女性は偽名を使っており、事件はそのまま内密に処理され、新聞にも出なかった。「殿下の滞在中に変死が出た」という事実を誰も公にしたくなかった。

青年は話し終えて「私」に言った。「この浴槽を使えば傑作が書けるんじゃないかと思って」。

ここで「私」は口を開く。

探偵作家の職業病から、その話を「そのまま殺人事件にしてみたらどうか」と語り始める。窓の締りがなかったこと、若い女性が都合よく脳貧血を起こすという偶然が二つ重なること――「こんな偶然が二つ重なる方が妙ですよ」と「私」は言う。

「私」が描く別のストーリーはこうだ。ある男が偽名を使って女性を宿に呼び寄せる。宿が手薄になる日を狙い、あらかじめ浴場の鍵を入手して女性を浴室に誘い込む。隙を見て首を押さえつけ、浴槽で溺死させる。その後、女性が一人で来たように見せかけるため、彼女の下着を窓の外へ投げ、女性のドテラを羽織ってスキーで浴場を出る。スキー服と帽子と眼鏡をつければ男女の区別はつかない。一回りして窓の下に戻り、服とスキーを脱ぎ捨て、再び浴室を通って今度は自分のドテラで逃走する。後で「発見者」として再登場する。

「私」はこの犯人の条件をこう挙げた。宿の事情に詳しい男、その日に宿に残っていた男、鍵を自由に扱える男――そして最後に、「褌ひとつで飛び出した男」。

青年の顔が「どす黒く歪んだ」。

「私」は「これは探偵作家の空想ですよ」と言い添え、列車が軽井沢に着くやいなや、そそくさと席を立って降りた。


「事故を語る男」が犯人の条件をすべて満たしている

この短編の仕掛けを一言で言えば、語り手が自分で自分を追い詰めていく構造だ。

青年は事件を「事故として処理された話」として語る。探偵作家に「ネタを提供する」という善意の顔をして。しかし語れば語るほど、彼自身が犯人の条件を埋めていく。

  • 宿の事情に詳しい男? → 叔父の宿で手伝いをしていた
  • 当日宿に残っていた男? → 客が全員ゲレンデに出た午後、一人で浴場へ向かった
  • 鍵を扱える男? → 二か所の鍵を開けて浴室に入った
  • 褌一つで飛び出した男? → 本人が「醜態でした」と語っている

探偵作家は新たな証拠を何も持ち込んでいない。青年自身の証言だけを使って、犯人像を組み立てた。

これは推理小説の構造としてきわめて精妙だ。通常、探偵は被疑者から情報を引き出す。この作品では逆に、被疑者が自ら情報を差し出し、気づいたときには手遅れになっている。


なぜ彼は話したのか

最大の謎は、事件そのものではなく「なぜ青年がこの話をしたか」だ。

可能性はいくつかある。

一つ目は、本当に無実で、事故の話を素材として提供したかっただけという解釈。この場合、探偵作家の推理は単なる職業的な「空想」であり、青年の顔が歪んだのは理不尽に犯人扱いされた憤りだ。

二つ目は、告白に近い何かを求めていたという解釈。自分が語れば語るほど疑われるとわかっていながら、それでも話さずにいられなかった。罪悪感を持つ人間は、しばしば自分を追い詰める方向へ動く。

三つ目は、自分の「完全犯罪」を誰かに気づいてほしかったという解釈。犯罪者が、評価してくれる相手を求めて探偵小説家に近づいた。

どの解釈も「正解」ではない。大坪砂男は意図的に答えを書かなかった。青年の動機は最後まで宙吊りのまま、列車は軽井沢に着く。


「信頼できない語り手」という技法

文学批評の用語で「信頼できない語り手(unreliable narrator)」という概念がある。語り手が、読者に伝える情報を(意図的にか無意識にかを問わず)歪めている構造だ。

『浴槽』の青年はその典型例に見える。ただし通常の信頼できない語り手と違うのは、彼が嘘をついている形跡がないという点だ。彼は事実を正確に語っている。だからこそ探偵作家の推理が成立した。嘘をついていないのに、語ることで疑惑が生まれる。

これは語り手の信頼性の問題ではなく、語ることそのものの危うさの問題だ。

何を語るか、何を語らないか。どの順番で語るか。それだけで、同じ事実がまったく違う物語になる。青年が「私は浴場の鍵を持っていた」と語ったとき、それは事故の説明に必要な事実だった。探偵作家の文脈に置かれた瞬間、それは犯行可能性の証拠になった。

事実は変わらない。文脈が変わっただけだ。


鑑識課員が書いたミステリ

大坪砂男は戦後ミステリの「五人男」の一人に数えられた作家だが、経歴が異色だ。警視庁の鑑識課に八年間勤務し、1932年の玉ノ井バラバラ事件を担当した経験を持つ。

実際の犯罪捜査に携わった人間が書くミステリは、どこか違う。現実の捜査では、証拠は語らない。証拠を語るのは人間だ。そして人間の語りは、常に解釈を含む。どんなに精緻な物証も、「こういう意味だ」と語る人間がいなければ、ただの物体だ。

鑑識の現場を知る大坪は、その「語りの恣意性」を骨身にしみて知っていたのではないか。探偵作家が「空想」と称しながら提示する殺人のシナリオは、同じ証拠からまったく別の物語を構築できるという、現実の捜査が持つ怖さの反映かもしれない。


おわりに

「これは探偵作家の空想ですよ」と言って席を立った「私」は、果たして何を確信していたのだろうか。

答えはない。作品は「据わりの悪いラスト」のまま終わる。しかしその据わりの悪さこそが、この短編の本質だ。読者は青年を犯人と断定できないまま、それでも「褌一つで飛び出した男」という言葉が頭から離れない。

語ることは、危ない。

何かを隠したいと思うなら、語らないことだ。語れば語るほど、文脈が生まれる。文脈が生まれれば、意味が生まれる。大坪砂男は20分で読めるこの小さな作品で、そのことをひどく静かに示した。

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