『刑事コロンボ』第14話「偶像のレクイエム」には、キャスティングそのものが仕掛けになっているという、珍しい構造がある。犯人役のノーラ・チャンドラーを演じるのはアン・バクスター。その名前を聞いた瞬間、ある映画を思い出す人がいるはずだ。
『イヴの総て』という映画
出典:映画.com
1950年公開のアメリカ映画『イヴの総て(All About Eve)』は、ブロードウェイの世界を舞台にした、野心と裏切りの物語だ。
ベテラン舞台女優のマーゴ・チャニング(ベティ・デイヴィス)は、ある夜、熱烈なファンだという若い女性イヴ・ハリントン(アン・バクスター)と出会う。マーゴはイヴを秘書として雇い、かわいがる。しかしイヴは、マーゴへの崇拝を巧みに利用しながら、その地位を着実に奪いとっていく。スタッフ、演出家、批評家、果てはマーゴの恋人まで。イヴは誰をも魅了し、誰をも踏み台にする。
最終的にイヴは大女優の座を手に入れる。だがラストシーンでは、彼女のもとにも同じような野心を持つ若い女が近づいてくる。歴史は繰り返す、という余韻を残して映画は終わる。
この映画でイヴを演じたアン・バクスターは、アカデミー賞主演女優賞にノミネートされた。若くて狡猾で、美しい。それがアン・バクスターの代名詞的な役になった。
1973年のアン・バクスター
「偶像のレクイエム」が放送された1973年、アン・バクスターは49歳だった。
彼女が演じるノーラ・チャンドラーは、かつて映画界に君臨した大女優だ。しかし今は、テレビドラマの仕事で食いつないでいる。ユニバーサルのスタジオには彼女専用のバンガローがあるが、それも売却される話が進んでいる。栄光は過去のものになりつつある。
ノーラにはゴシップ記者のジェリー・パークス(メル・ファーラー)という厄介な存在がいる。かつてスタジオから200万ドルを横領した事実を握られ、長年にわたって脅され続けてきた。
そしてノーラには、もうひとつ、もっと深刻な秘密がある。12年前、夫のアルを口論の末に殺してしまったこと。その遺体は、バンガローの庭に埋められ、大きな噴水の下に隠されている。
この秘密を唯一知っているのが、18年間秘書として仕えてきたジーン・デービス(ピッパ・スコット)だ。そのジーンが、よりによってパークスと結婚するという。ノーラにとって最悪の組み合わせだった。ジーンが夫に打ち明けるかもしれない。二人が組めば、手がつけられない。
ノーラは決意する。ジーンを消すしかない。
計画と犯行
ノーラの計画は巧妙だった。ジーンを狙いながら、パークスを狙った犯行に見せかける。
まずジーンに大量の用事を言いつけ、外出させる。その隙に、ジーンの車のタイヤのバルブから空気を抜く。穴を開けるのではなく、あくまで「空気が抜けた」状態にして、キャップをきちんと締め直す。タイヤがパンクしたように見えるが、証拠は残らない。
夜、パークスの自宅の私道にガソリンを撒いて待つ。ジーンは「パンク」に気づき、パークスの愛車であるジャガーEタイプを借りて戻ってくる。車が私道に入った瞬間、ノーラはガソリンに火をつける。車は爆発し、ジーンは炎の中で死ぬ。
捜査の入口では「パークスを狙った何者かが、偶然車を替えていたジーンを誤って殺してしまった」という構図になる。
コロンボという観客
出典:ameblo.jp
コロンボ警部(ピーター・フォーク)が現れる。彼はノーラの前で完全に舞い上がったように振る舞う。爪を確認し、服を直し、「カミさんに電話してもいいですか?」と興奮気味に頼む。大スターを前にした田舎者そのものだ。
ノーラはこれを真に受ける。この刑事は脅威ではない、と判断する。しかしそれこそが、コロンボの戦術だった。
彼が最初に引っかかったのは、庭の噴水だった。大きく華麗な噴水なのに、水が出ていない。花を一本摘む振りをして近づき、じっと観察する。そして静かに疑問を持つ。水の出ない噴水に、何の意味があるのか、と。
そこからコロンボは糸を手繰り始める。タイヤはパンクではなく、バルブから意図的に空気が抜かれていた。つまり「人違い」は偶然ではなく、最初からジーンが標的だった。ノーラは金に困っているのに、その土地だけは頑として手放さない。夫は失踪したことになっているが、ノーラと身長がほぼ同じだった。撮影中のテレビ映画では、変装してアリバイを作る犯人の役を演じている。
ひとつひとつは小さな違和感だ。しかし積み上げると、輪郭が見えてくる。
最後の罠
コロンボは最後にフィクションを使う。
パークスがひき逃げ事故で重傷を負った後、コロンボはノーラを訪ね、パークスが危篤だと告げる。そして一本の指輪を取り出す。「T-CLUB」という友愛結社の男性用リングだ。これはパークスの持ち物で、アル・カンバーランドの遺体を掘り起こした証拠だ、とコロンボは言う。
すべて嘘だった。指輪はブラフであり、遺体など掘り起こされていない。ノーラを動揺させ、行動させるための演出だった。
ノーラは信じた。夫の遺体が見つかった。すべてが終わる。パニックに陥った彼女は、コロンボと別れるや否や、バンガローの庭に走る。噴水へ向かう。
そこにコロンボが待っていた。
ノーラのパニック反応そのものが、動かぬ証拠になった。追い詰められた彼女はすべてを話す。12年前の夫殺し。遺体の隠蔽。変装による失踪の偽装。そしてジーンの殺害。
告白を終えたノーラは、静かにスターの顔を取り戻した。「コートを取ってくるわ。行きましょう」。その言葉に、コロンボは珍しく、悲しげな表情を見せた。
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イヴが、マーゴになる日
出典:20世紀・シネマ・パラダイス
『イヴの総て』でアン・バクスターが演じたイヴは、大女優の秘書として側に仕え、その地位を奪っていく女だった。
「偶像のレクイエム」でアン・バクスターが演じるノーラは、長年仕えてきた秘書を殺す女優だ。
役柄の対称性が、あまりにも鮮やかだ。かつてマーゴの地位を奪ったイヴが、今度はジーンに脅かされるマーゴの側に立っている。秘書だった者が女優になり、女優になった者が秘書を恐れる。歴史が反転している。
しかも細部はさらに重なる。イーディス・ヘッドという実在の衣装デザイナーが本人役でカメオ出演しているが、彼女は『イヴの総て』の衣装担当者だった。アン・バクスターは、かつて彼女に衣装を作ってもらった映画の衣装担当者と、再び同じ画面に収まる。
さらに言えば、アン・バクスターは1971年のブロードウェイ版ミュージカル『アプローズ』で、マーゴ・チャニング役を実際に演じている。かつてイヴを演じた女優が、今度はマーゴを演じ、そして「偶像のレクイエム」ではノーラを演じる。フィクションと現実の境界が、ここまで溶け合う例はそう多くない。
ノーラ・チャンドラーというキャラクターは、アン・バクスターという女優の経歴を知らなくても楽しめる。しかし知っていると、全く別の深さが生まれる。ノーラの悲劇は、スクリーンの内側だけで完結していない。スクリーンの外にも染み出している。
それはおそらく、偶然ではない。製作側は、意図してアン・バクスターをキャスティングした。キャスティングそのものをメッセージにした。
「偶像のレクイエム」が単純なミステリーを超えているとすれば、その理由のひとつはここにある。犯人が誰かという問いより先に、この女優がここにいるという事実が、すでに何かを語っている。





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