YouTubeでこの映画の予告編をたまたま目にしたのは、もうずいぶん前のことだったように思う。深夜トーク番組の体裁を借りた不穏な空気と、あの独特なフィルムの質感が妙に頭に残っていた。
それからどれだけ時間が経っただろうか。先日ようやく本編を見ることができ、「ああ、これだった」と一人で頷いてしまった。長く気になっていたものに手が届いたときの満足感というのは、年を重ねても変わらないものだ。
出典:FOD – フジテレビ
あらすじ(結末まで)
舞台は1977年のハロウィン。深夜トーク番組「Night Owls」の司会者ジャック・デルロイは、絶対王者ジョニー・カーソンの牙城を崩せぬまま長年苦戦している。前年に妻マデリーンを肺がんで亡くした彼は、悲しみを乗り越えたように振る舞いながら番組に復帰するが、視聴率への執着は少しも衰えていない。
出典:ガジェット通信 GetNews
この夜の特番に呼ばれたのは、カルト教団から救出された少女リリーと、彼女を保護した心理学者ジューン・ロス=ミッチェル博士、霊媒師クリストウ、そして懐疑論者カーマイケルという面々。生放送は徐々に制御を失っていく。
クリストウは正体不明の「もっと暗い何か」を感知して苦しみ、CM明けには急死していたことが判明する。催眠術師カーマイケルがアシスタントのガスに「腹の中を虫が這う」幻覚を見せる演出は、最初こそ不気味な余興として処理されるが、やがてリリーの中に巣食う悪魔「ミスター・リグルス」が表に出始める。
出典:映画ブログただ文句が言いたくて
クライマックス、リリーの顔が裂け、悪魔の本性が炎のような姿で現れると、スタジオは一瞬で惨劇と化す。気がつけばジャックは、瀕死の妻のベッドサイドにいる幻覚——あるいは記憶——の中にいる。そこで彼は妻を刺す自分を見るのだが、それが比喩なのか、本当に起きたことなのか、映画は最後まで明言しない。
意識を取り戻したとき、彼の手には刃物があり、足元にはリリーの遺体。遠くからパトカーのサイレンが近づいてくるところで物語は幕を閉じる。
ジャックがかつて秘密結社「The Grove」の儀式に参加し、悪魔アブラクサスと契約を交わして妻の命と引き換えに成功を手にしていた——というのが、物語全体を貫く裏のあらすじだ。本人がその代償を本当に理解していたかどうかは曖昧なまま、観客に委ねられる。
70年代という空気
ホラー映画好きとしては、この作品が纏う1970年代の雰囲気にまずやられた。深夜トーク番組という設定そのものが、あの時代でなければ成立しない。ブラウン管的な画質、CMを挟みながら進行する構成、司会者ジャック・デルロイの胡散臭くも愛嬌のある喋り方——どれも作り込まれた懐かしさで、画面の中にすっと引き込まれていく感覚があった。
僕がホラー映画を見始めたのは1980年代に入ってからだったが、当然それ以前の名作、「エクソシスト」や「オーメン」あたりは後追いで見ている。
あの時代の作品が放つ、じっとりとした不気味さは独特で、本作にもそれに通じる空気が確かに流れていた。ただし、あそこまでのおどろおどろしさには至らない。むしろ、じわじわと正気が崩れていく様を、生放送という制御の利かない場の緊張感で見せていくタイプの恐怖だった。
視聴率のために何を差し出したのか
肝心の主人公ジャック・デルロイという男は、悪人というより「気づけば一線を越えていた人間」として描かれているように僕には見えた。妻を亡くした悲しみすら番組の素材にしてしまうあたり、テレビという商売に魂を売った男の業のようなものを感じる。
視聴率のためなら悪魔も呼んでしまう——笑い話のようでいて、これは案外、何かを背負って商売をしている人間なら誰にでも刺さる話なのかもしれない。
店をやっていても、つい「お客さんに喜んでもらうため」と言いながら、本当はどこかで自分の都合を優先してしまう瞬間があるものだ。ジャックほど極端ではないにしても。
近年のホラーと比べて思うこと
近頃のホラー映画は、とにかく驚かせること、脅かすことに比重を置いたものが多いように感じている。それはそれで一つの様式美なのだろうが、見終わったあとに何も残らないことも少なくない。その点、この映画は驚かせ方そのものよりも、「人がどう壊れていくか」をじっくり見せてくれた。
だからこそ、観終えたあとも妙に頭に残っている。古き良きホラーの作法を、現代の技術でうまく再現した一本だったように思う。




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