5000円で解決する事件、5000円では解決しない動機

きっかけは「水曜どうでしょう」だった。あの番組を通じて大泉洋という人を好きになり、ついでに、彼と一緒にハプニングに巻き込まれていく安田顕のドジっぷりにも、すっかり惹かれてしまった。

出典:SODANE

そこから安田顕のファンになり、彼が出演しているドラマを片っ端から見るようになった。

『アリバイ崩し承ります』も、そうした流れの中で見つけた一本だった。

大山誠一郎の同名小説(実業之日本社刊)が原作の本格謎解きミステリーである。舞台は架空の「那野県」。鯉川商店街の片隅にある美谷時計店には「アリバイ崩し承ります」という奇妙な張り紙があり、店主・美谷時乃(浜辺美波)が、祖父・時生から仕込まれた推理力を使い、成功報酬5000円で事件のアリバイを崩していく。

時乃に内密に捜査情報を流してアリバイ崩しを依頼するのは、那野県警捜査一課の管理官・察時美幸(さじよしゆき、安田顕)。本部長の息子で国会議員の御曹司である刑事・渡海雄馬(成田凌)は時乃に想いを寄せている。

出典:テレビ朝日

何年前に見たのか、もう正確には思い出せない。安田顕の佇まいに惹かれて見始めたドラマだった、という記憶だけはある。

今回、改めて見返したのは、まったく違う理由からだった。安田顕への興味というよりも、浜辺美波に癒されたかったのである。これは正直に書いておきたい。

出典:テレビ朝日

ただ可愛いから見た、というほど単純でもない。可愛さだけが目的なら、おそらく途中で飽きていたはずだ。ふと画面の中で見せる、動きの中の表情——台詞の合間にある、ほんの一瞬の目の動きや、口角の上がり方——に、やはり美人だな、と思わされる瞬間がある。静止した美しさではなく、動いている時にこそ立ち上がってくる種類の美しさというものが、たしかにあるのだと再認識させられた。

そんな軽い気持ちで見返していたはずなのに、気づけば物語の構造そのものに引き戻されていた。このドラマの面白さは、実はその軽さの中にある仕掛けにあるのではないか、と思うようになったのである。

時乃が崩すアリバイは、いつも成功報酬5000円である。この金額の軽さが、まず引っかかる。難事件の謎を解くには、あまりに安い。だがこの安さこそが、ドラマの本質を語っているように思えてくる。5000円で買えるのは、論理の解明だけなのだ。「いつ」「どこで」「どうやって」という時間のズレを暴くこと——それだけが、時計屋の領分である。

しかし、事件の奥にあるものは、5000円では到底買えない。

第2話のピアノ講師殺害事件を思い出す。マッサージ店長の芝田は、夢遊病の妹を替え玉に使い、不倫相手だった姉を殺害した。芝田が崩したかったのは、おそらく自分の人生にまとわりついた不誠実さそのものだったのだろう。

第5話の和田英介は、亡き父の無念を晴らすために、デジタル時代らしいダウンロード履行時刻のズレを利用したアリバイを組み立てた。彼が本当に崩したかったのは、父の死を見過ごしてきた時間そのものだったのかもしれない。

そして最終回、藤枝が仕組んだ「証人300人」の鉄壁のアリバイの裏には、地盤を譲ろうとした一成の苦悩と、雄馬という息子との関係の揺らぎがあった。

時乃の推理は、いつも見事に時間のズレを暴く。だがそのあとに残るのは、解決された謎ではなく、剝き出しになった人間の事情である。論理の網の目をくぐり抜けて、最後に残るのはいつも「割に合わない情念」だ。お金で計測できるものと、計測できないものの落差。このギャップこそが、このドラマを単なる軽いミステリーから救っている部分なのだと思う。

出典:スカパー!

スペシャル版で描かれた江島聡美の事件は、その落差がさらに極端な形で現れていた。婚約者を自死に追い込んだパワハラへの復讐のために、彼女は無関係な富宰建一を「カムフラージュ」として殺害する。本来のターゲットへの怒りを成立させるために、別の命を犠牲にする回り道。これもまた、5000円のアリバイ崩しでは決して説明し尽くせない情念の重さである。

論理は時間のズレを見抜くが、なぜその時間にその場所に立たなければならなかったのか、という心の理由までは見抜けない。見抜けてしまったら、それはもう推理ではなく、もっと別の何かになってしまう。

考えてみれば、これは自分が日々やっている仕事にも通じる感覚がある。カフェの厨房に立って、パスタを茹でる時間、ソースを煮詰める時間を計りながら、ふと客の表情や会話の断片から、その日その人が抱えている何かを感じ取ることがある。

時間は管理できる。手順は再現できる。だが、その時間の中で人が何を思っていたかまでは、こちらには測れない。アリバイ崩しの謎解きと、店主としての日々の観察には、案外近いところがあるのかもしれない。

「水曜どうでしょう」の大泉洋に惹かれ、安田顕のドジっぷりに笑い、そのファンになってドラマを追いかけ始めたはずが、今回見返した理由はすっかり浜辺美波の表情に変わっていた。

それでも、見終えて残るものは似ている気がする。可愛さに釣られて見始め、論理の快感に乗せられて見続け、最後に残ったのは、お金では買えないものについての、ささやかな考察だった。これもまた、ドラマというものの「割に合わない情念」なのかもしれない。

安いつもりで見始めたものが、思いのほか高くつく。そういう体験こそが、結局は良いエンタメの正体なのだろう。

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