死神とチェスをする勇気はないが――『第七の封印』と、私のささやかな時間稼ぎ

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旅芸人一家だけが、踊りの輪に入らなかった

イングマール・ベルイマン監督の『第七の封印』(1957年、スウェーデン)を、ようやく観た。

舞台は十字軍の遠征から帰還した騎士アントニウスが、ペストの蔓延する祖国に戻ってくるところから始まる。海岸で休んでいる彼の前に死神が現れ、連れていこうとする。死期が迫っていることを悟ったアントニウスは、すぐに連れていかれることを拒み、死神にチェスの勝負を申し込んだ。勝負がつくまでの猶予を得るために。それが、この映画全体を貫く縦糸になっている。

故郷への道を急ぐアントニウスと従者ヨンスは、道端で馬車を止めて休んでいる旅芸人の一座と出会う。役者のヨフと、その妻ミア、まだ小さな息子ミーカエル。ヨフは時折、聖母マリアやイエスの幻を見るというが、ミアはいつもの夢だろうと笑って取り合わない。

二人は、死とは何か、神は本当にいるのかというような哲学的な問いをほとんど持たない。ただ、互いを愛し、旅芸人としての素朴な日々を愛しているだけの一家だ。

物語の終盤、アントニウスは自分の家にようやくたどり着き、道中で加わった仲間たちとささやかな食卓を囲む。祈りを始めたその時、音もなく死神が現れる。一行は、思い思いに死というものの意味を悟り、その訪れを受け入れていった。

出典:TCエンタテインメント

翌朝、森から無事に逃げ出したヨフが目にしたのは、死神に先導され、手をつないで数珠つなぎになり、丘の向こうへ踊るように歩いていくアントニウスたちの姿だった。誰もが、その死の舞踏の輪の中にいた。

出典:春風駘蕩舎 – ココログ

ただ一組だけ、その輪に加わらず、朝の光の中を馬車で旅立っていく夫婦がいる。ヨフとミアだ。

正直に言うと、この映画は難しかった。神の存在をめぐる議論、中世の信仰と疫病の恐怖、チェスというモチーフの意味――一度観ただけで全部を呑み込めた気はしない。けれど、ラストの死の舞踏のシーンと、そこに加わらなかったヨフ一家の後ろ姿だけは、観終えた後もずっと頭の中に残っている。

死神とチェスをしていた季節が、私にもあった気がする

出典:映画.com

なぜ、ヨフとミアだけが死を逃れたのか。考えすぎないからではないか、と思う。彼らは死の意味を問わない。だからこそ、死神の影が彼らには触れなかった。一方のアントニウスは、死とは何か、神は本当に存在するのかということを、最後まで考え続けた人間だった。そして、その輪の中へ入っていった。

これを観ながら、自分の中学時代のことを思い出してしまった。

クラブ活動で大会に出る前、健康診断で不整脈が見つかり、出場できなかったことがある。それから少しの間、気分が落ち込んだような状態が続いた。夜、布団に入ると自分の心臓の音がよく聞こえて、脈が時々飛ぶのもはっきりわかる。それで眠れなくなり、その時間を埋めるように聴き始めたのが、オールナイトニッポンだった。深夜のラジオの声だけが、あの不安な静寂を埋めてくれた。

当時は、自分が20歳まで生きられるかどうかわからない、と勝手に思い込んでいた。アントニウスが死神とチェスの駒を動かしながら、答えの出ない問いを抱えていたのと、どこか似たような時間だったのかもしれない。

それも、いつの間にか忘れてしまった。それからずっと、元気に過ごしてきた。

ただ最近、また不整脈がたまに出ることがある。医者には、大して異常なことではない、心配する必要はないと言われている。それでも私はストレスに弱いたちで、不整脈のことも、数年前に経験した脳梗塞のことも、去年見つかった十二指腸の良性腫瘍のことも、なんとなく気にしてしまう。

来月には、毎年恒例の胃カメラ検査もある。何の結果も出ていないのに、悪いことばかり先に考えて、それがまたストレスになる。ヨフのように考えずにいられたら楽なのだろうが、アントニウスのように、答えのない問いを抱え続けてしまうのが、自分の性分なのだと思う。

大型冷蔵庫と給湯器の寿命が、私に何かを教えてくれた

つい最近、店の大型冷蔵庫を入れ替えた。同じ時期に、自宅のオールデンカの給湯器も交換した。どちらも、寿命はだいたい15年から20年だという。

次にこれらを入れ替える頃、私は75歳になっている。

祖父母、両親の平均寿命を考えると、そこまで元気に生きているかどうかは、正直わからない。まだ深く考えたくはないが、そろそろ自分の終わり方というものを、少しずつ考えるべき時期に来ているのかもしれない。

冷蔵庫や給湯器の寿命という、ごく実務的な数字が、自分自身の時間の輪郭を不意に教えてくれた。映画の中で、ある人物が「生とは死までの時間稼ぎである」というようなことを口にする場面があったように思うが、アントニウスが死神とチェスを引き延ばしたのも、結局はそういう時間稼ぎだったのだろう。

私が日々の不整脈や検査結果を気にしながらも、それでも仕込みをし、店を開け、来月の胃カメラ検査の予約を入れているのも、似たようなことなのかもしれない。死を遠ざけたいのではなく、ただ、その日その日を丁寧に積み重ねたいだけなのだと思う。

ヨフ一家のように、何も考えずに生きることは、自分にはできそうにない。アントニウスのように、つい問い続けてしまう性分なのだろう。それでも、死の舞踏の輪に入るのが今すぐでなくていいのなら――その猶予の時間を、せめて丁寧に使いたい。冷蔵庫と給湯器の寿命が尽きる頃まで、できれば元気に店に立っていたい。そんなことを、白黒の画面を見終えた後、静かに考えていた。

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