『空飛ぶ生首』(1960) チープな特撮ごと楽しむ、ちぐはぐなB級ホラー

『空飛ぶ生首』は、邦題から想像するより、ずっと真面目な映画だった。元恋人を見殺しにした男が、罪悪感に追い詰められていく話である。 ただ、その真面目な物語の途中で、本当に生首が宙に浮かんで喋り出す。しかも、今見るとかなり安っぽい。 この「真面目」と「安っぽさ」が同じ75分に同居しているのが、この映画のいちばんの楽しさだと思う。 以下、結末まで触れる。

目次

邦題は生首、原題は「苦しめられる」

原題は『Tormented』。「苦しめられる」という意味で、主人公の内面を指したタイトルだ。

それが日本では『空飛ぶ生首』になった。作中でいちばん派手で、いちばん安っぽい場面をそのまま題名にしてしまったわけである。

身も蓋もない邦題だが、見終わってみると、あながち間違いでもない。この映画には、原題の顔と邦題の顔が両方ある。

1960年は『サイコ』や『血を吸うカメラ』が公開された年でもある。そういう年に、こういう映画も作られていた。

あらすじ(結末まで)

灯台の上で、元恋人を見殺しにする

舞台は小さな島。ジャズピアニストのトム・スチュワート(リチャード・カールソン)は、資産家の娘メグ(ルジーン・サンダース)との結婚を控えている。

そこへ元恋人で、ナイトクラブ歌手のヴァイ・メイソン(ジュリー・レディング)がやってくる。ヴァイは灯台の上でトムに詰め寄り、二人の関係をばらして婚約を壊してやると脅す。

言い争ううちに、ヴァイがもたれていた錆びた手すりが外れる。彼女はかろうじてぶら下がり、助けを求める。

トムは手を伸ばさない。ヴァイがいなくなれば全部片づく、と気づいてしまったからだ。彼はヴァイが岩場へ落ちていくのを、黙って見ている。

殺したのではなく、助けなかった。この「見殺し」が、ここから先のトムを苦しめることになる。

海藻、足跡、香水、レコード

翌日、トムは波間にヴァイの死体を見つけ、浜へ引き上げる。ところがその亡骸は、見る見るうちに海藻の塊に変わってしまう。

そこから、おかしなことが続く。砂浜には誰もいないのに足跡がつく。ヴァイの香水の匂いが漂い、それは盲目の家主エリス夫人(リリアン・アダムス)にも分かる。

ヴァイの腕時計が浜に打ち上げられる。彼女の持ち歌「Tormented」のレコードは、トムが叩き割ったあとでも勝手に鳴る。

亡霊の嫌がらせは、だんだん露骨になる。薄いドレスのヴァイの幻が現れる。手首から先だけの手が床を這って、婚約指輪を盗んでいく。

そしてついに、ヴァイの生首が宙に浮かび、「トム・スチュワートが私を殺した!」と何度も何度も繰り返す。

恐喝者ニックと、二人目の死

そこへ、ヴァイを島まで運んだ船頭のニック(ジョー・ターケル)がやってくる。ヴァイが払っていない5ドルの船賃を取り立てに来たのだ。

トムが慌てて金を払おうとする。メグの妹サンディ(スーザン・ゴードン)は、浜でヴァイの宝飾品を拾って遊んでいる。ニックはそれを見て、何があったかを察する。そして口止め料として5,000ドルを要求する。


追い詰められたトムは、ニックを殺してしまう。今度は見殺しではない。自分の手で殺した。

その場面を、トムを慕うサンディがこっそり見ていた。けれど彼女は誰にも言わずに黙っている。

結婚式と、もう一度の灯台

結婚式の日。サンディが異議を唱えようか迷っていると、教会の扉が勢いよく開く。冷たい風がロウソクを吹き消し、祭壇の花はしおれていく。式はめちゃくちゃになる。

その夜、トムは島を出ようとして、すべてが始まった灯台へ戻る。そこで、秘密を知りすぎたサンディに気づく。トムは彼女を壊れた手すりのところへ連れていき、突き落とそうとする。

そこへヴァイの亡霊が現れる。怯えたトムは足を踏み外し、ヴァイと同じように灯台から落ちて死ぬ。

島の人たちが、二人の遺体を見つける。最後に映るのは、トムの亡骸の上にそっと置かれたヴァイの手だ。その指には、盗まれた婚約指輪がはまっている。

死んでから、やっと結婚が成立したような終わり方である。

チープな特撮は、これはこれで楽しい

正直に言うと、特撮はかなり安い。特殊効果は、ゴードン監督と奥さんのフローラ・M・ゴードンの二人で作っている。

ピアノの下を這っていく手は、どう見ても作り物だ。宙に浮かんで喋るヴァイの生首も、怖いというより、まず笑ってしまう。

でも、それでいいと思って見ていた。

1960年の低予算映画に、今の特撮を求めても仕方がない。それより、「ここで手を這わせよう」「ここで首を飛ばそう」と、作り手が手持ちの道具で精一杯脅かしにくるのを見ているほうが楽しい。

死体が海藻に変わる場面は、安っぽいけれど妙に記憶に残る。手作りの安さが、そのまま気味の悪さになっている。

この映画のおもしろさは、真面目な話の途中にこういう見世物がはさまってくるところにある。トムが罪悪感で青ざめている。その横で首がぷかぷか浮いている。笑っていいのか怖がっていいのか分からない、あの感じごと楽しむ映画だと思う。

怪獣のバート・I・ゴードンが撮った幽霊譚

監督のバート・I・ゴードンは、「ミスターB.I.G.」と呼ばれていた人だ。イニシャルがB.I.G.で、巨大(BIG)な怪物が出てくる映画ばかり撮っていたからである。

『戦慄!プルトニウム人間』(1957)や『吸血原子蜘蛛』では、合成やスプリットスクリーンを駆使して、とにかく大きなものを見せることに力を注いでいた。

「戦慄!プルトニウム人間」(1957年)


その監督が、この映画では巨大なものを出さない。代わりに、島の空気と、追い詰められていく男の心を撮ろうとしている。ポーやヒッチコックの方に寄せた題材だ。

1950年代の後半には、ウィリアム・キャッスルたちの心理的な恐怖やギミックの多い「お化け屋敷映画」が当たっていた。ゴードンなりに、その流れに乗ってみたのだろう。

ただ、慣れない題材だからか、雰囲気で押し切れない場面では、つい得意の「見せる特撮」が顔を出す。生首が飛ぶのは、その表れのようにも見える。うまくいっていない部分も含めて、この監督らしい一本だと思う。

撮影はアーネスト・ラズロ。のちに『愚か者の船』でアカデミー賞を受け、『おかしなおかしなおかしな世界』や『2300年未来への旅』を手がける人だ。白黒の陰影がやけに上等なのは、たぶんこの人のおかげである。

役者を知っていると、もう一段おもしろい

リチャード・カールソン

トムを演じるリチャード・カールソンは、『大アマゾンの半魚人』や『イット・ケイム・フロム・アウター・スペース』で、怪物に立ち向かう誠実な博士や科学者を演じていた人だ。

その人が、ここでは元恋人を見殺しにし、恐喝者を殺し、子どもまで突き落とそうとする。クールなジャズマンが、幽霊に過剰に怯えてどんどん壊れていく。いつもの正しい人を知っていると、この落ち方がなおさらおもしろい。

ジュリー・レディング

ヴァイ役のジュリー・レディングは、冒頭のわずかな時間で死んでしまう。それでも映画全体を支配しているのは彼女のほうだ。出番の少ない主役のような存在である。

いちばん得をしているのは、船頭ニック役のジョー・ターケルだろう。のちに『シャイニング』のバーテンダー、『ブレードランナー』のタイレル博士を演じる人だ。

ジョー・ターケル

ここでは誰にでも「親父(Dad)」と呼びかける、ふてぶてしい小悪党を楽しそうに演じている。トムの成り上がりたい気持ちを一目で見抜く感じがいい。彼が出てきたとたん、幽霊譚が急に犯罪映画の顔になる。

サンディを演じるスーザン・ゴードンは、監督の実の娘だ。トムを慕いながら、彼の殺人を見てしまう子どもの役を、思った以上にうまく演じている。トムが彼女に手をかけようとする場面は、生首よりよほど嫌な気持ちになる。

気になったところ

トーンはかなり揺れる。トムの苦しみをじっくり見せたいのか、生首で驚かせたいのか、場面ごとに映画の顔が変わる。そこを楽しめないと、ただ散らかった映画に見えると思う。

音楽も独特だ。いかにもなホラーの音楽に、トムのピアニストとしての顔を表すにぎやかなジャズが混ざってくる。作曲はアルバート・グラッサー、ジャズの部分はカルヴィン・ジャクソン。狙いは分かるが、怖い場面で軽快なジャズが鳴ると、どうしても少し笑ってしまう。

メグはあまりに「いい婚約者」で、人物としての厚みはない。トムが手に入れたい安定した暮らしの記号、という役回りにとどまっている。

おわりに

『空飛ぶ生首』は、題名から受ける印象よりも、もう少し複雑な映画だった。

低予算ホラーらしい荒さはある。特撮は今見ると滑稽だし、演技や演出にも大げさなところがある。

けれど、その不揃いさも含めて、この映画の妙な味わいになっている。

芯にあるのは、罪を隠した男が少しずつ追い詰められていく物語だ。巨大生物で知られた監督が、慣れない幽霊譚に挑んだ一本でもある。

欠点は少なくない。それでも、真面目な心理劇と、どこかキッチュな見世物が同居していることが、この映画を忘れがたいものにしている。

笑ってしまう場面と、妙に不穏な場面が、同じ映画の中に並んでいる。そのちぐはぐさを昔の映画の味として楽しめるなら、75分はあっという間だと思う。


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