決勝トーナメントの試合は、点差以上に重い。
1点差で勝つ試合も、1点差で去る試合も、同じピッチの上で生まれる。喜びは爆発し、悔しさは沈黙になる。コートジボワール対ノルウェーも、そういう試合だった。
結果は、コートジボワール 1-2 ノルウェー。
ノルウェーが勝ち抜き、次のラウンドでブラジルと対戦する。
この組み合わせだけを見ると、どうしてもノルウェーにはハーランドの名前が先に浮かぶ。世界的なストライカーであり、ゴールを決めることそのものを宿命のように背負っている選手である。だが、この試合は最初からハーランドだけの試合だったわけではない。
先に試合を動かしたのは、アントニオ・ヌサだった。
前半、ノルウェーが先制する。
ヌサのゴールで、試合はノルウェーの方へ傾いた。決勝トーナメントでは、先制点の意味が大きい。リードした側は試合を選べる。追う側は、時間と戦わなければならない。コートジボワールにとっては、早い段階から苦しい展開になった。
それでも、コートジボワールは沈まなかった。
このチームはグループEを2位で突破してきた。ドイツが首位に立った組で、コートジボワールはその下に食い込んだ。2024年のアフリカネーションズカップを制した国としての誇りもある。ワールドカップの決勝トーナメントに立つだけの力と空気を持っていた。
その中心にいたのが、アマド・ディアロだった。
途中出場から流れを変え、74分に同点ゴールを決めた。
この1点は、単なる同点弾ではない。大会が終わりに近づいていたチームの命をつなぐゴールだった。
1-1。
試合は振り出しに戻った。
決勝トーナメントで追いつくというのは、特別な意味を持つ。負ければ終わりという場所で、まだ終わっていないと示すことだからである。コートジボワールの選手たちも、スタンドのサポーターも、この瞬間にもう一度息を吹き返したはずだ。
このまま延長へ行くのか。
あるいは、どちらかが90分のうちに決めるのか。
終盤の時間には、そういう重い空気が漂う。足は疲れ、判断は鈍る。それでも、一つのパス、一つのこぼれ球、一つのマークのずれが、次のラウンドへの扉になる。
そして86分、その扉を開けたのはハーランドだった。
アーリング・ハーランドが決勝点を決める。
それは、ノルウェーにとってあまりにも頼もしい結末だった。大きな試合で、大きな選手が決める。サッカーではよく言われる言葉だが、それを実際にやってのける選手は限られている。
出典:Yahoo!ニュース – Yahoo! JAPAN
ハーランドはこの試合のほとんどの時間で、派手に目立ち続けていたわけではない。だが、最後に必要な場所にいた。決めるべき時間に、決めるべきゴールを決めた。ストライカーとは、結局そこに尽きるのかもしれない。
コートジボワールにとっては、あまりに痛い失点だった。
同点に追いつき、延長戦が見えていた。流れも、完全にノルウェーだけのものではなかった。あと少し耐えれば、もう30分の勝負に持ち込めたかもしれない。だが、その「あと少し」の時間に、ハーランドがいた。
サッカーの残酷さである。
ノルウェーはベスト16へ進む。
次の相手はブラジルである。
日本を2-1で下したブラジルと、コートジボワールを2-1で下したノルウェーがぶつかる。ブラジルには王国としての重みがあり、ノルウェーにはハーランドとウーデゴールを中心にした現在地がある。決勝トーナメントらしい、次の扉の向こうにまた大きな壁がある組み合わせである。
一方で、コートジボワールの大会はここで終わった。
1-2という敗戦は悔しい。
追いついたあとに、終盤で勝ち越された。これほど心に残る負け方もない。選手たちは、自分たちにもチャンスがあったと思っているはずである。実際、試合は一方的ではなかった。ノルウェーを苦しめ、最後まで追いかけた。
だからこそ、敗退の痛みも大きい。
しかし、コートジボワールの去り際を軽く扱うことはできない。
グループリーグを突破し、決勝トーナメントでノルウェーと戦い、終盤まで勝負をわからなくした。アマド・ディアロの同点弾は、大会が終わったあともチームの記憶に残るはずである。負けたからといって、その一瞬の輝きまで消えるわけではない。
若いチームが、ワールドカップの決勝トーナメントで経験した1点差の敗北。
これは、ただの敗退ではなく、次へ残る痛みでもある。
ノルウェーは歓喜し、コートジボワールは去った。
同じ1-2のスコアの中に、続く物語と終わる物語が並んでいる。
ハーランドの決勝点は、ノルウェーをブラジル戦へ連れていった。
アマドの同点弾は、コートジボワールが最後まで戦った証として残った。
決勝トーナメントでは、勝者だけが次へ進む。
だが、敗者の戦いまで消えるわけではない。
この試合の余韻は、ハーランドの歓喜と、コートジボワールの悔しさの間に、静かに残っている。


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