宮島・弥山の霊火堂が2026年5月の火災で全焼した。
「消えずの火」で知られるこの堂は、空海の修行に由来する火を今に伝える場所であり、広島平和記念公園の「平和の灯」ともつながる存在でもある。本記事では、霊火堂の火災、2005年の焼失と2006年の再建、そして建物に刻まれていた時間の気配をたどりながら、焼失と再生を繰り返すこの場所の意味を考える。
2026年5月20日、広島・宮島の弥山山頂付近で、一つの建物が炎に包まれた。大聖院の「不消霊火堂」、通称・霊火堂である。消防車8台とヘリコプターが出動し、約2時間後には火の勢いはおおむね収まった。
しかし、鎮火が確認されたのは翌21日正午ごろだった。霊火堂は全焼し、隣接する離れや周辺の木々にも被害が及んだ。けが人はいなかったものの、1200年以上受け継がれてきた「消えずの火」を宿す堂が、再び灰となった。
そのニュースを目にしたとき、私は少なからずショックを受けた。広島県出身の私にとって、宮島は幼い頃から何度も訪れた、心の中に深く刻まれた場所だ。弥山の山頂まで足を運び、霊火堂の薄暗い堂内で、囲炉裏の中にひっそりと燃える火を見つめた記憶がある。あの静謐な空間が、あの黒く落ち着いた堂の佇まいが、炎に包まれたという事実は、故郷の一部が失われたような喪失感をもたらした。
建物が語る「古び」の理由
出典:神社と御朱印、ときどき寺院
現在まで親しまれてきた霊火堂の建物は、2006年に再建された比較的新しいものである。2005年5月の火災で焼失した後、翌年に再建された。にもかかわらず、その外観には、まるで長い時をくぐり抜けてきたかのような、黒っぽく古びた趣があった。
その理由を、私は単なる「新しい建物」では説明しきれない気がしていた。堂内では「消えずの火」が守り継がれ、長い年月の気配が絶えずそこにあった。火と煙と祈りの積み重ねが、建物に独特の陰影を与えていた――そう言いたくなるような風合いが、確かにあったのである。
その黒みは、単なる経年変化ではなく、信仰の時間が目に見える形になったもののようにも思えた。再建から20年ほどの建物でありながら、その姿には、数字では測れない歴史の厚みがにじんでいた。
空海とはどのような人物か
出典:大本山 弘法寺
この物語の原点を語るには、まず弘法大師・空海という人物を知らなければならない。
空海は774年、現在の香川県善通寺市にあたる讃岐国に生まれた。幼名は「真魚(まお)」という。幼い頃から非常に聡明で、15歳で都に上り、18歳で大学に入って学問を修めた。しかし、出世のための学びに飽き足らず、より深く人を救う道を求めるようになる。20歳のときに得度し、22歳のころには「空海」と名を改め、仏教の道へと本格的に踏み出していった。
その後、804年に遣唐使船に乗り、命がけの航海の末に唐へ渡る。長安の青龍寺で密教の高僧・恵果に師事し、短い期間のうちにその教えを受け継いだ。帰国後は真言密教を広め、816年には高野山を修行の場として開くことを朝廷から許された。
空海の偉大さは、宗教の枠だけには収まらない。書の名手として知られ、教育の面でも「綜藝種智院」を開き、庶民にも学びの場を広げた人物として語られる。宗教家であり、書家であり、思想家であり、教育者でもある。ひとことで言えば、平安初期という時代に現れた、途方もなく射程の長い人物だった。
空海が弥山に灯した火
消えずの火
出典:毎日新聞
806年(大同元年)、唐から帰国した空海は、宮島の弥山で100日間にわたる求聞持修法(ぐもんじしゅうほう)を行ったと伝えられている。その際に焚かれた護摩の火こそが、1200年以上消えることなく受け継がれてきたとされる「消えずの火」の起源である。
この火は、単なる宗教的象徴にとどまらない。広島平和記念公園の「平和の灯」の種火の一つにもなっている。空海の修行に由来すると伝えられる一筋の火は、長い年月を経て、平和を祈る火としても受け継がれてきたのである。
焼失と再生のサイクル
霊火堂の歴史は、繰り返される焼失と再生の物語でもある。しかし、そのたびに守られてきたのは、建物以上に「火」そのものだった。2005年の火災でも火は守られ、今回の火災でも「消えずの火」は別の場所に移され、無事だったと報じられている。
建物は焼け落ちても、火は絶えない。この構図は、霊火堂という存在の本質を象徴しているように思える。守るべきものは、器そのものではなく、その中で燃え続ける火であり、その火を守り続けようとする人々の意志なのだと、歴史は静かに語っている。
結びに
広島県出身の私にとって、宮島は単なる観光地ではない。幼い頃から親しんできた、心の原風景の一部だ。霊火堂の黒く落ち着いた壁、囲炉裏の静かな炎、そして堂内に漂う独特の煙の香り。あの空間が再び灰となったことは、やはり胸に痛い。
しかし、1200年以上受け継がれてきたその火は、今もなお絶えてはいない。建物という器は何度焼け落ちても、その核にある火と、それを守り続ける人々の意志は残る。いつの日か、新たな霊火堂が再建され、また新たな時間がそこに積み重なっていくだろう。焼失と再生のサイクルは、これからも続いていく。そしてその火が燃え続ける限り、空海の祈りもまた、この島に生き続けるのである。





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