「東京は変らない」という言葉が変わる瞬間——太宰治「メリイクリスマス」を読む

太宰治の短編「メリイクリスマス」(1947年)は、不思議な構造を持っている。

語り手の笠井が本屋でシズエ子ちゃんと再会し、母のアパートへ向かい、母の死を知り、うなぎ屋の屋台で二人して黙って酒を飲む。それだけの話だ。派手な事件も、感情の爆発もない。にもかかわらず、この小説を読み終えると、冒頭の一文がまったく別の色に見えてくる。

それはなぜか。この記事では「東京は変らない」という言葉の反転と、タイトル「メリイクリスマス」という一言が作品全体に果たす役割、この二点から読み解いてみたい。


目次

「東京は変らない」——同じ言葉が、前と後で違って聞こえる

作品は冒頭から、語り手の倦怠感に満ちている。

津軽から一年三ヶ月ぶりに東京へ戻ってきた笠井は、「二三週間の小旅行から帰って来たみたいの気持がした」と書く。戦後の東京。瓦礫と混乱と占領軍。もっと変わっているはずの街が、まるで変わっていない。「馬鹿は死ななきゃ、なおらないというような感じです」と田舎の知人に書き送る言葉には、期待を裏切られた苛立ちと、変わることへの諦念が滲んでいる。

そして師走の夕方、映画館を出た笠井は街をこう描写する。

「東京の生活は、やっぱり少しも変っていない。」

この時点での「変らない」は、批評的な言葉だ。変わるべきものが変わっていない、という苛立ちである。

ところが物語の末尾、うなぎ屋の屋台を出た後、作品はこう締めくくられる。

「東京は相変らず。以前と少しも変らない。」

文字面は同じだ。しかし読者はここで、別の言葉として受け取る。

笠井はこの夜、母の死を知った。五年間音信が絶えていたひとが、広島の空襲で死んでいた。「死ぬる間際のうわごとの中に、笠井さんの名も出たという」という一行が、静かに、確実に刺さる。

「変らない」と呟いた後の東京は、変わっていないのではなく、もうその人がいない。街の無関心は、以前と同じに見えるからこそ、ひとつの死を飲み込んだ証拠として残酷に機能している。

冒頭の「変らない」は倦怠であり、結末の「変らない」は喪失だ。同じ言葉が、物語の経験を通じて意味を反転させる。これが「メリイクリスマス」という作品の、静かな骨格である。


タイトルはなぜ「メリイクリスマス」なのか

タイトルになった「メリイ、クリスマアス」という一言は、物語の終盤にほんの一瞬だけ現れる。

屋台の奥で飲んでいた酔客の紳士が、道を歩くアメリカ兵を見て、だしぬけに叫ぶのだ。

「ハロー、メリイ、クリスマアス。」

紳士はそれまで、「まるっきりセンスの無い冗談」をペラペラと話し続けていた人物として描かれている。語り手はその冗談には一切笑わなかった。しかしこの一言にだけ、「噴き出した」と書いている。

なぜ笠井は、ここで笑ったのか。

呼びかけられたアメリカ兵は「とんでもないというような顔をして首を振り、大股で歩み去る」。ちぐはぐな応答。かみ合わない世界。占領されている国の酔客が、占領した側の兵士に向かって「メリイクリスマス」と叫ぶ——その場違いさと、それでも明るく叫んでしまう人間の滑稽さに、笠井は笑ったのだろう。

ただ、笑いの直後、笠井はすぐに母のうなぎに箸をつける。

「この、うなぎも食べちゃおうか。」
「ええ。」
「半分ずつ。」

この数行の流れを追うと、「メリイ、クリスマアス」という叫びが、物語全体の空気を一瞬だけ変えたことがわかる。哀しみの夜に、ばかばかしいくらい明るい一言が、外から降ってくる。その明るさに笠井は笑い、そして笑ったまま、死者の分のうなぎを食べる。

太宰はこの瞬間をタイトルに選んだ。

それは「クリスマス」という言葉の陽気さと、その陽気さが似合わない夜の落差を、最初から読者に予告しているということでもある。作品を読む前から、タイトルは「何かちぐはぐなものが来る」と告げている。読み終えた後には、その「ちぐはぐさ」こそが、この小説の核心だったとわかる。


二つの仕掛けが交差するところ

「東京は変らない」という言葉の反転と、「メリイクリスマス」というタイトルの機能は、実は同じことを別の角度から語っている。

どちらも「似合わないもの」の話だ。

変わるべき街が変わらないこと。死の夜にクリスマスの掛け声が飛んでくること。どちらも、現実の残酷さと人間の営みのちぐはぐさを、感傷なしに差し出している。太宰はここで泣かない。叫ばない。「東京は変らない」と静かに呟き、笑って、死者の分の酒と食事を片付ける。

その静けさの中に、深いところで何かが揺れている。

この作品が「ヴィヨンの妻」や「斜陽」ほど語られないのは、派手さがないからかもしれない。しかし派手さのなさこそが、この小説の誠実さだとも思う。喪失は静かにやって来て、東京の街はそれでも変わらず動き続ける。ただそれだけのことを、太宰は書いた。

それだけのことが、なぜか沁みる。

読み終えてもしばらく、その問いが残る。

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