スポックは正しかった。そしてカークも正しかった。
同じ出来事に対して、どちらも正しいということがある。それがこのエピソードをスタートレック史上、最も後味の重い一編にしている理由だと思う。
『スター・トレック 宇宙大作戦』第3話『光るめだま』(原題:Where No Man Has Gone Before、1966年9月22日放送)は、実質的にシリーズを生み出したパイロット版だ。最初のパイロット版『歪んだ楽園』がNBCに却下された後、製作された2度目の挑戦がこれだった。放送順では第3話になったが、カークとスポックの関係性、そしてシリーズの根幹にあるテーマはここで確立された。
あらすじ
エンタープライズ号が銀河系の果て、銀河障壁の近くで漂流していた古い航行記録装置を回収するところから物語は始まる。200年前に消息を絶った宇宙船SSヴァリアント号のものだ。その記録には、ヴァリアントのクルーが船を自爆させる直前まで、ESP(超感覚的知覚)についての研究を続けていたことが記されていた。
カーク船長はその不吉な先例にもかかわらず、障壁を越えて進むことを決断する。その判断が悲劇の発端となる。
銀河障壁を通過した際、9名のクルーが死亡する。そして、操舵手ゲイリー・ミッチェル少佐と精神科医エリザベス・デナー博士が意識を失った。この二人は、船内で最も高いESPER指数(超能力適性値)を持っていた。
出典:バー トレック ブログ
ミッチェルはカークの15年来の親友だった。アカデミー時代、カークはまだ「脚の生えた本の束」のような学生で、ミッチェルが彼を社交的にした。カークのために毒矢を受けたこともある。その旧友の目が、目覚めると銀色の光を放っていた。
出典:Aurora-design
ミッチェルの変容は急速に進む。技術日誌を驚異的な速度で読破し、テレパシーとテレキネシスを発現する。知的な傲慢さが増し、かつての仲間を見下すようになる。哲学者スピノザを「子供じみている」と一蹴し、「道徳は人間のためのもので、神のためではない」と言い放った。
スポックはただちに進言する。ヴァリアント号のクルーも同じ事態に直面し、最終的に船ごと自爆したという記録がある。ミッチェルは隔離、あるいは殺害すべきだ、と。「一ヶ月もすれば、彼と我々の共通点は、白鼠で満たされた船と我々の共通点ほどもなくなるでしょう」。
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デナーは当初ミッチェルを擁護した。「突然変異で生まれた優れた人間は、新しく、より良い人類の先駆けとなる可能性もある」と主張した。カークは二つの意見の間で引き裂かれる。スポックの論理か、デナーの希望か。そして何より、15年来の友人を見捨てることへの抵抗。
カークは決断する。ミッチェルを無人の惑星デルタ・ヴェガに置き去りにする、と。殺すのではなく、人のいない場所に隔離する妥協案だ。
しかしその判断も遅すぎた。デルタ・ヴェガに降り立ったミッチェルは容易に拘束を破り、テレキネシスでクルーのケルソーを殺害し、同じく能力が覚醒し始めたデナーとともに逃亡する。不毛な惑星の荒野に、ミッチェルは緑豊かなオアシスを創り出す。リンゴの木を出現させ、デナーに実を差し出す。「エデンの園」の再現だった。
カークは特殊なフェイザー・ライフルを携えて二人を追跡する。デナーに残った人間性に訴えかけながら。ミッチェルがカークを殺そうとした瞬間、デナーはその非情さに恐怖を感じ、自らの力でミッチェルを攻撃する。
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ミッチェルはデナーに致命傷を負わせるが、その隙にカークはフェイザーで岩崩れを起こし、ミッチェルを仕留める。
デナーも息を引き取った。
エンタープライズに戻ったカークは、最後の航海日誌を記録する。ミッチェルとデナーが「任務遂行中に」死亡したと。怪物として記録するのではなく、乗組員として弔う言葉を残して。
スポックが正しかったことについて
振り返れば、スポックの最初の進言は正確だった。ミッチェルの力は指数関数的に増大し、カークの指導も、デナーの優しさも、技術的な拘束も、何一つ効かなかった。ヴァリアント号の先例がそれを示していたにもかかわらず、カークは人間主義的な希望に手間取り、判断を遅らせた。その遅れがケルソーの死を招いた。
スポックの立場は単純だ。感情を持ち込まず、論理と証拠だけを見る。問題が認識されたなら、感情的な葛藤が最善の行動を遅らせることを許してはならない。
これは冷酷に聞こえるが、カークが最終的に行き着いた地点もそこだった。ただし、カークの場合は人間としての苦悩を通過した上で。
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興味深いのは、スポックが「感じないから、知るのは論理だけだ」と言った点だ。カークが「なぜ訓練を積んだ精神科医(デナー)よりも君が正しいと言えるのか」と問うたとき、スポックはそう答えた。デナーは感情によって判断が曇っている、と。
その通りだった。しかしデナーは最後に、感情によって正しい選択もした。カークのために自らの力でミッチェルを止めることを選んだのは、論理ではなく、人間としての道徳的判断だった。
論理が最初の警告として正しく、人間的な感情が最後の救済として機能した。このエピソードはその両方を必要としていた。
友人を殺すということ
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カークにとって、この事件は純粋に指揮上の問題ではなかった。ミッチェルは彼の人生を形作った人間だった。アカデミー時代、本ばかり読んでいた自分を外の世界に引き出してくれた。毒矢を受けてまで守ってくれた。
そういう人間を、自分の手で殺した。
義務だったことはわかっている。そうしなければ、エンタープライズとそのクルー全員が危険にさらされた。論理的に見れば、他に選択肢はなかった。スポックが最初から言っていた通りだ。
だからこそ、最後の航海日誌の記述が重い。カークはミッチェルを怪物として記録するのを拒んだ。「任務遂行中に死亡した」という記述は事実ではないが、カークにとっての真実だった。ミッチェルは自分が何者になるかを選んだわけではない。銀河障壁を通過する前は、確かに戦友だった。
殺すことを義務から選び、弔うことを愛情から選んだ。その二つが矛盾しないのが、カークというキャラクターの核心だ。
「力は人格を増幅する」という冷たい事実
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ミッチェルとデナーは同じ力を得た。しかし結末は正反対だった。
ミッチェルはもともと傲慢だった。魅力的で有能だったが、女性蔑視的で、自分が世界の中心だと思っていた。力はその傾向を際限なく増幅した。スピノザを「子供じみている」と切り捨てたのは、知的な成長ではなく、共感と倫理への興味を失ったことの表れだ。
デナーは違った。彼女は専門家として、力の意味合いに苦悩し続けた。最後に選んだのは、人間としての道徳的な判断だった。それは自分の命を賭けた選択だった。
このエピソードが示す一つの答えは、力は新しい人格を作らない、ということだ。力はすでにそこにあったものを大きくするだけだ。ミッチェルの中にあった傲慢さが神の規模に拡大し、デナーの中にあった倫理観が致命的な選択の場面で残った。
どちらも正しかった、という結末
スポックの論理は正しかった。カークの義務の遂行も正しかった。しかしカークが最後に示した慈悲も、また正しかった。
三つが同時に正しいというのは、スタートレックというシリーズが生涯かけて問い続けたことだ。純粋な論理だけでは人は動けない。感情だけでは判断を誤る。義務は時に最愛の人間を傷つけることを要求する。それでも、義務を果たした後に慈悲を持つことはできる。
カークが航海日誌に書いた言葉を、スポックに説明するシーンがある。「彼は自分に起きたことを望んだわけではない」。スポックは何も言わなかった。
その沈黙が、このエピソードで最も雄弁な瞬間だったと思う。
宇宙の果てまで旅しながら、描かれていたのは、友人を失った人間の、静かな悼みだった。








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