誰もが「見たいもの」を見ている。
惑星M-113に降り立ったマッコイ医師が旧友ナンシーと再会したとき、彼の目に映ったのは「少しも歳をとっていない」若々しい女性だった。
一方、カーク船長は年相応の女性を見た。若いクルーのダーネルは、まったく別の見知らぬ女性の姿を見ていた。三人は同じ存在を見ていたにもかかわらず、三人ともまったく違う「ナンシー」を目撃していた。
これが、スタートレック第1シーズン第1話『惑星M113の吸血獣』の出発点であり、このエピソードが60年近くを経ても語り継がれる理由だと思う。
この作品は、パイロット版2本(「歪んだ楽園」と「光るめだま」)を除いて、シリーズとして視聴者に届けられた最初のエピソードだ。製作順では第6話にあたるが、NBCはあえてこれを初回に選んだ。
「モンスターが登場するホラー調の一話完結もの」という親しみやすさが、まだシリーズを知らない視聴者を引き込むのに適していると判断されたからだ。そうした商業的な事情がある一方で、このエピソードは「シリーズの顔」として、結果的に作品の核心を象徴するような問いを最初から投げかけてきた。
あらすじ
宇宙暦1513.1。U.S.S.エンタープライズ号は荒涼とした惑星M-113を訪れ、カーク船長、マッコイ医師、クルーマンのダーネルが考古学者ロバート・クレイター夫妻の健康診断のために転送される。マッコイにとってナンシーは10年前に別れた旧い恋人だった。
出典:Aurora-design
三人がナンシーと対面した瞬間、奇妙なことが起きる。それぞれが異なる女性の姿を認識するのだ。まもなくダーネルが顔に奇妙な赤い斑点を浮かべ、死亡しているのが発見される。検死の結果、体内の塩分が完全に抜き取られていた。
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エンタープライズに戻った一行の中に、ひとり人間のふりをした異星の生命体が紛れ込んでいた。それはすでに本物のナンシーを1年前に殺し、クレイター教授に幻影を見せながら餌として塩を得ていた孤独な存在だった。孤独に耐えかねたクレイターは、死んだ妻の姿を持つ生命体を保護し、共に暮らすことを選んでいたのだ。
出典:Aurora-design
生命体は艦内を徘徊し、塩への渇望のままにクルーを次々と襲う。変身能力を活かして通信士ウフーラに近づき、スールーの傍らでは異星植物に存在を察知されて逃走し、スポックを襲うも彼のバルカン人の血液とは相性が合わずに失敗する。
そしてついに、生命体は「ナンシー」の姿のままマッコイの私室に逃げ込む。カークはフェイザーを手に踏み込み、正体を暴こうとする。
出典:Memory Alpha – Fandom
しかしマッコイは「あれはナンシーだ!」と叫び、引き金を引けない。その隙に生命体はカークに飛びかかり、絶体絶命の状況の中で、ようやくマッコイは現実を直視してフェイザーを発射する。
生命体は死んだ。惑星M-113最後の生き残りは、こうして絶滅した。エンタープライズが軌道を離れる中、カークは呟く。「バッファローのことを考えていた」。
欲望は、相手を見えなくする
生命体の変身能力は、この物語の核心的なギミックだ。しかしよく考えると、この能力は不思議な前提に立っている。生命体は男性の「見たいもの」に合わせて姿を変える。それは相手の欲望や記憶を読み取り、その人物が理想とするイメージを投影する技術だ。
つまりダーネルが見た「魅惑的な女性」は、ダーネル自身の欲望の投影だった。マッコイが見た「若いナンシー」は、マッコイが失いたくなかった記憶の残滓だった。生命体は何も創造していない。ただ、それぞれの内側にあったものを鏡のように映し返しただけだ。
ここに、このエピソードが提示する最初の問いがある。男たちは「ナンシーを見た」のではなく、「自分自身を見た」のではないか、と。
マッコイが撃てなかった理由
出典:Aurora-design
クライマックスでマッコイが銃を向けられなかった場面は、このエピソードで最も重要な瞬間だと思う。彼は事実を知っていた。本物のナンシーはすでに死んでいる。目の前にいるのは彼女ではない。それでも彼は撃てなかった。
彼が守っていたのは「ナンシー」ではなく、彼の中にあった「ナンシーの記憶」だったのだ。
人は死者を直接悼むことができない。悼む相手はすでにいない。だから代わりに「記憶の中の相手」を悼む。しかしその記憶は時間とともに美化され、理想化され、現実にはいなかったような完璧な姿へと変容していく。マッコイがマッコイである10年前のナンシーとの記憶は、もはや現実とは別の次元に存在していた。
生命体はその「別の次元」にいる存在を具現化した。だからこそ、彼は現実の脅威として認識できなかった。
クレイター教授という鏡
出典:IMDb
マッコイの状況をより極端にしたのが、クレイター教授だ。彼は「妻が死んだ」という現実に向き合う代わりに、妻の幻影と暮らすことを選んだ。生命体はその欲求に応えた。彼にとって生命体は「妻、恋人、親友」のすべてだった。
しかしその代償に、複数のクルーが命を落とした。
彼の判断を責めることは簡単だ。しかし「喪失の痛みから目を背けるために何かに依存する」という構造は、それほど特殊な話でもないと思う。亡くなった人の部屋をそのままにする。古い写真を繰り返し見る。思い出の場所を避けて生きる。程度の差こそあれ、喪失を「なかったこと」にするための無数の手段を人は持っている。
クレイターのやり方はただ、あまりにも徹底していた。
罠は誰が仕掛けたか
出典:Aurora-design
原題の「The Man Trap」は直訳すると「男の罠」だ。表面的には「男たちを罠にかける生命体」の話として読める。
しかし、より正確に言えば、罠を仕掛けたのは生命体ではない。男たちは自分自身の欲望と記憶によって罠を仕掛け、自分でそこに落ちた。生命体はただ、彼らが自ら差し出した鍵で扉を開けただけだ。
ウフーラに接近した場面も同様だ。生命体は彼女の言語であるスワヒリ語で語りかけ、「あなたは孤独であるべきではない」と言った。孤独への不安を刺激することで、彼女の防衛を緩めようとした。これは欲望というより「欠落への訴え」だが、構造は同じだ。相手の内側にある何かに干渉して、判断を曇らせる。
このエピソードが「The Man Trap」と名付けられた真の意味は、そこにあるのではないかと思う。
現実を見ることの痛み
マッコイが最終的にフェイザーを発射したのは、カークの悲鳴を聞いたからだ。友人が危機に瀕しているという「現在の痛み」が、過去の記憶を一瞬だけ上回った。
それは「過去を乗り越えた」瞬間ではなく、「今を選んだ」瞬間だ。彼は自分が大切にしていたものを、自らの手で終わらせた。
エピソードは勝利の余韻なく終わる。沈黙するマッコイ。窓の外を見つめるカーク。「バッファローのことを考えていた」という静かな一言。これは喜びではなく、必要なことをしたあとの重さだ。
現実を見ることは、幻想の心地よさを手放すことだ。それは常に、何かを失うことと一体になっている。
『惑星M113の吸血獣』が1966年のアメリカで放送された初回エピソードだということを踏まえると、その重さはなおさら意味深に思える。シリーズはこの「喪失と現実認識の痛み」を出発点として選んだ。宇宙を舞台にしながら、描かれていたのは非常に地に足のついた、人間の内側の話だった。








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