『勝手にふるえてろ』―10年間の片思いと現実の狭間で揺れる、こじらせ女子の恋物語

松岡美憂は、多少だが推しの女優である。その主演映画だったので、軽い気持ちで「勝手にふるえてろ」を観た。

観終わった後の感覚が不思議である。笑っているのに胸が締め付けられる。主人公の行動は理解不能。なのに、どこか共感している自分がいる。

この映画は、史上最年少で芥川賞を受賞した綿矢りさの小説を映画化したもの。監督は大九明子。綿矢りさといえば、2004年に上戸彩主演で映画化された『インストール』が有名。今回は二度目の映画化作品となる。

彼女が描くのは、実らない恋愛の苦悩。そして女性の複雑な内面世界。それを大九監督が、生々しく、ユーモラスに映像化した。

主演は松岡茉優。共演は音楽シーンで活躍するDISH//のリーダー・北村匠海と、黒猫チェルシーのボーカル・渡辺大知という異色のキャスティング。この組み合わせが、作品に独特の空気感をもたらしている。

目次

24年間彼氏なしの江藤ヨシカという女

出典:YouTube

主人公の江藤ヨシカは24歳のOL。彼女は24年間、一度も彼氏がいない。

彼女には「イチ」と呼ぶ男がいる。中学時代の同級生。彼とはほとんど話したこともない。それなのに、彼女は10年間もずっとイチのことを想い続けている。

この設定を聞いただけで「イタイ」と思うだろう。実際、ヨシカはイタくてヤバい。超内気だった中学時代、イケメンでクールな一宮(イチ)とはほとんど喋ることができなかった。

彼女の脳内では、イチは完璧に美化されている。現実の一宮がどんな人間かも知らない。それでも彼女の中では理想の恋人として君臨している。

さらにヤバいのは、ヨシカが行きつけのカフェやコンビニの店員に、イチへの想いを恥ずかしげもなく語りまくっていること。これを聞いて「痛い女」と思うかもしれない。実際、痛い。

この痛さが妙にリアル。どこか愛おしい。

ヨシカの趣味は「絶滅した動物を調べること」という独特なもの。この設定が、彼女の内向的な性格と、どこか現実離れした感覚を象徴している。

突然現れた「ニ」という男

出典:ナタリー

会社の同期・霧島が現れる。彼はヨシカのことが好きになり、ストレートに告白してくる。

ヨシカにとって霧島は「イチ」じゃない。彼女は霧島のことを通称「ニ(二番目)」と呼ぶ。失礼な話である。ヨシカにとってはそういうこと。

霧島は、ヨシカとは趣味が合わない。空気が読めない。よく考えずに発言してしまう不器用な男。一宮とは全く違うタイプ。

彼には一つだけ確かなものがある。ヨシカへの真っ直ぐな気持ち。

告白されたことが人生で初めてだったヨシカは有頂天になって喜ぶ。それは告白されたこと自体が嬉しいだけ。霧島が好きなわけではなかった。この辺りの感覚、なんとなく分かる気がする。初めての告白って、相手がどうこうより、「自分が選ばれた」ことが嬉しいもの。

ヨシカは返事を返さないまま、なんとなく霧島と行動を共にするようになる。彼女の中ではやはりしっくりこない。イチへの想いは消えない。

彼女は「私には彼氏が2人いる」と自嘲気味に思う。妄想の中の完璧なイチ。現実の不器用な霧島。どちらも彼氏ではない。彼女の心はこの二人に揺れ動いている。

同窓会という賭け

ある日、ヨシカの部屋でボヤ騒ぎが起きる。就寝中にストーブの火が布団に燃え移った。

「人生いつ何があるかわからない」

そう感じたヨシカは、大胆な行動に出る。他人になりすまして、SNSで同窓会を開くことを同級生に提案したのである。

ヨシカには友達がいなかった。人気のあった女子になりすました。これもまたヤバい行動。10年間の片思いを抱え続けてきた彼女にとって、もう後には引けない状況だったのだろう。

同窓会当日、ヨシカはついにイチと再会する。10年越しの再会。彼女の心は高鳴る。

ここから物語は予想外の展開を見せる。

松岡茉優という女優の凄さ

出典:シネマトゥデイ

この映画の最大の見所は、間違いなく松岡茉優の演技。

私が松岡茉優を初めて知ったのは、おぎやはぎがMCをしていた深夜番組「オサレもん」だった。当時は子役出身だと知らず、「ハキハキしてて可愛い子」という印象だった。

その後、広瀬すず主演の『ちはやふる』で高飛車な女子高生を演じているのを見て驚いた。「バラエティタレントだと思ってたのに、演技できるんだ」と。

実際、松岡は子役時代から数多くの作品に出演している。園子温監督の『愛のむきだし』にも出ていたらしい。当時は全く印象に残っていなかった。それが、ここ数年で急激に存在感を増してきた。

『勝手にふるえてろ』での松岡の演技は圧巻。初めは「ただの妄想こじらせ女子じゃん」と思って観ていた。彼女の感情表現の巧みさに、だんだんとヨシカがリアルに感じてきた。

彼女の目の演技が特にすごい。混乱、期待、不安、希望。複雑な感情が、すべて目から伝わってくる。

映画の中盤、ある告白シーンで物語が180度近く変わる。それまで話していた知人との会話が、実は妄想だったという事実が明かされる。この辺りから、俺は完全にハマってしまった。

ラスト30分。どんどん変わっていく展開に釘付けになった。いつの間にかヨシカに感情移入していた。

霧島という男の存在

渡辺大知が演じる霧島は、正直言って「ウザい」。空気読めない。しつこい。デリカシーもない。観ていて「うわ、この男キツい」と思った。

不思議なことに、映画が進むにつれて霧島の見え方が変わってくる。彼の不器用さの奥に、真っ直ぐな誠実さが見えてくるのである。彼の愛情表現は確かに下手。嘘がない。計算もない。ただ純粋に、ヨシカのことが好き。

最後には、なんとなくカッコよく見えてしまうから不思議。「タチが悪い」とはこのことである(笑)。

北村匠海が演じるイチは、対照的にクールで、優しげで、少し遠い存在。ヨシカの妄想の中で輝き続ける彼の演技は抑制が効いている。だからこそヨシカがなぜ彼に10年間も惹かれ続けたのかが理解できる。

妄想と現実、どちらが本物の恋なのか

出典:フラスコ飯店

この映画が問いかけるのは、「妄想の恋と現実の恋、どちらが本物なのか」ということ。

ヨシカの恋は、長い間妄想の中だけで完結していた。完璧に美化されたイチは、決して彼女を傷つけない。失望させることもなければ、裏切ることもない。安全で、美しく、永遠に色褪せない恋。

一方、霧島という現実の男は不完全。完璧じゃない。

でも、彼は確かにヨシカの目の前にいる。一生懸命にヨシカのことを見ている。これが「生きた恋」なのだろう。

私たちだって、心の中に「イチ」がいるんじゃないだろうか。叶わなかった恋。理想化された過去の誰か。あるいは「こうあってほしい」という願望の投影。それらは美しく、安全で、決して俺たちを傷つけない。

同時に、それは生きた恋じゃない。

本当の恋は、面倒くさい。相手は完璧じゃない。喧嘩もするし、イライラもする。でも、それが現実。

傷つくリスクを負ってでも、生きた恋を選ぶのか。それとも、安全な妄想の中に留まるのか。この映画は、その選択を俺たちに突きつけてくる。

笑えるのに、胸が痛い

出典:シネフィル

この映画は実はかなり面白い。ヨシカの妄想シーンや独り言など、笑えるシーンがたくさんある。黒猫チェルシーの主題歌「ベイビーユー」も、切なくて温かい。

笑っているのに、なぜか胸がギュッとなる瞬間がある。

それはおそらく、ヨシカが抱えている孤独や不安が、私たち自身の中にもあるから。

誰だって完璧じゃない。恋愛で悩むし、人間関係で悩む。理想と現実のギャップに苦しむ。

でも、それでいい。この映画はそう教えてくれる。

この映画を万人には勧められない理由

正直に言おう。この映画は万人にはおすすめできない。

見る人によっては、登場人物が気持ち悪くて受け付けないだろう。実際、私も霧島の存在は最初キツかった。ヨシカの痛さも、正直イタい。

よくわからないうちにハマってしまった。見終わった時には満足感で満ち溢れていた。原作がすごいのか、演出がすごいのか、松岡茉優がすごいのか。よくわからない。

ある意味、凄い作品だった。

映画は、第30回東京国際映画祭のコンペティション部門に出品され、観客賞を受賞した。観客の心を掴んだということ。

完璧じゃなくていい

この映画が最後に伝えてくれるメッセージ。おそらくこういうこと。

「完璧じゃなくていい。こじらせていても構わない。妄想してもいいし、不器用でもいい。大事なのは、自分のまま、少しずつ前に進むこと」

ヨシカは完璧な人間じゃない。だからこそリアルで、だからこそ共感できる。彼女の成長は、俺たち自身の成長でもある。

もし今、恋で悩んでいたり、自分のことが嫌いだったりするなら、この映画を観てみてほしい。ヨシカの姿を見て、「一人じゃない」と思えるかもしれない。

ヨシカが最終的にどんな選択をするのか。それは映画を観てのお楽しみ。ただ一つ言えるのは、彼女が自分自身と向き合い、自分で選択するということ。それが、この映画の核心にあるテーマ。

勝手にふるえながら、それでも生きていく。完璧じゃない自分のまま、少しずつ前に進んでいく。

それが、私たちの人生なのだから。

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