『歌舞伎町シャーロック』推理落語より、笑えなくなっていく後半が好きだ

『歌舞伎町シャーロック』を見たのは、シャーロックものに続けてハマっていた時期だった。

ディーン・フジオカの『シャーロック』、ベネディクト・カンバーバッチの『SHERLOCK』、竹内結子の『ミス・シャーロック』。どれも面白くて、その流れでこのアニメにも手を伸ばした。ハドソン夫人がムキムキだという設定も、それだけで見てみたくなった。

見終わって残ったのは、看板の推理落語ではなかった。軽いコメディで始まった話が、少しずつ重く、暗くなっていく。その転調が、この作品のいちばんの面白さだと思う。

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コメディで始まり、シリアスで終わる

第1クールは、探偵長屋のはぐれ者たちがそれぞれ勝手に動き回る、にぎやかな群像劇だ。切り裂きジャック事件という重い軸はあっても、手触りはまだ軽い。

それが第2クールで変わる。収監されたモリアーティの本性が見えてきて、物語は彼とシャーロックの二人に絞られていく。自分で仕組んだ事件を自分で解く「ヒーロー探偵」になり、最後はシャーロックの目の前でビルから身を投げる。

笑って見ていたはずの作品が、いつの間にか笑えないところまで来ている。こういう転び方が好きだ。最初の軽さがあるから、後半の重さが効いてくる。

最後に残るカタバミ

結末でシャーロックに残されるのは、押し花にしたカタバミだ。

花言葉には「母のやさしさ」と「決してあなたを捨てません」がある。前者は、幼いころ自分の手で母を奪ったモリアーティが、ついに分からなかったもの。後者は、ただ一人執着した相手への約束だ。

コメディの顔で始まった作品が、この一輪の花で終わる。その落差まで含めて、この作品の転調だと思う。

推理落語は、なくても困らない

本作の看板は、シャーロックが高座に上がって事件を落語で語る「推理落語」だ。この作品を語るとき、たいていまずここが挙がる。人の心が分からない探偵が他人になりきるための手段だ、という読み方もできなくはない。

ただ正直に言うと、あまり意味があるようには見えなかった。シャーロックを際立たせるための特徴づけで、それ以上ではない。推理落語がなくても、この物語は成り立つ。

シャーロックものを続けて見ていた中で、この作品を気に入っているのは落語のせいではない。コメディの顔をして始まり、最後に笑えないところまで連れていく。その流れのほうだ。

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