『人間椅子』の怖さは、確かめようのない話のほうにある

店の椅子を、お客さんにほめてもらうことがある。「いい椅子だね」と言われると、僕はいつも同じ話をする。昔、山小屋でカフェをしていた人が手作りした椅子らしい、と。

ただ、その話が本当かどうか、僕は知らない。

そういう椅子に毎日人を座らせている立場で、江戸川乱歩の『人間椅子』を読んだ。怖さの中心が、少しずれて見えた。椅子の中にいる男より、確かめようのない話のほうが怖い。


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この椅子も、流れ流れてここに来た

『人間椅子』でいちばん引っかかったのは、椅子が持ち主を変えていくところだった。

椅子職人の男が、自分の作った肘掛け椅子の中に潜り込む。椅子はまずホテルに納められる。やがてホテルの持ち主が変わり、家具は売りに出され、その椅子はある家に買われていく。行き着いた先は、作家の佳子が書斎で使う椅子だった。佳子はまさにその椅子に座って、男からの手紙を読んでいる。

ホテルにあった椅子が、流れ流れて、手紙を読む人の椅子になっている。ここで店の椅子のことを思い出した。

店を開くとき、木のカウンターは作ってもらったが、テーブルと椅子は自分で探した。そのほうが安かったからだ。広島市の、厨房機器を多く扱う店の2階に、木のテーブルと椅子が並んでいた。山奥の山小屋カフェが閉店して、売りに出されたものだという。

テーブルが1つ5,000円、椅子も1脚5,000円。とりあえず4セットを押さえて、3日後に軽トラを買って戻ると、残りの16セットはもう売り切れていた。

あの山小屋で、誰がこの椅子に座っていたのかは分からない。売れていった16セットが、いまどこで誰を座らせているのかも分からない。椅子は作った人の手も、最初に使った人の手も離れて、どこかへ流れていく。


由来は、確かめようのない話として伝わっていく

「山小屋のカフェの人が手作りした」というのは、販売していたお店の人から聞いた話だ。僕はそれをそのままお客さんに伝えている。作った人に会ったことはないし、本当に手作りなのかも確かめていない。

『人間椅子』の結末も、確かめようのなさで終わる。佳子が長い告白を読み終えたあと、2通目の手紙が届く。先の手紙は小説の原稿で、題は「人間椅子」。つまり作り話だった、という知らせだ。

けれど、それで安心できるわけではない。作り話だと言われても、佳子にはそれを確かめる方法がない。読んでいるこちらも同じだ。作り話だと明かしても明かさなくても、手紙を読んだ人の怖さはそのまま残る。そこがすごいと思った。

作った人の顔が見えない椅子と、真偽の分からない話。その組み合わせは、うちの店にもある。


「椅子の中の男」だけを見ていると、見落とすもの

『人間椅子』は、椅子の中に男が潜んでいる話として知られている。怖さの中心は座る側の気持ち悪さだ。自分の体の下に、知らない男がいるかもしれない。

ただ、椅子を用意して人を座らせる側から読むと、別のところが気になってくる。椅子には、目に見えない来歴がついてくる。誰が作り、どこにあって、誰が座ってきたのか。その話はたいてい、確かめられないまま次の持ち主に渡る。

男が本当に椅子の中にいたかどうかより、確かめられない話を受け取ってしまったことのほうが怖い。僕にはそう読めた。


同じ「真偽不明の話」でも、店の椅子は誰も怖がらせない

とはいえ、店の椅子と『人間椅子』を重ねられるのはここまでだと思う。

店の椅子の由来も、本当かどうか分からない点では佳子が受け取った手紙と同じだ。でも、その話を聞いたお客さんが怖がることはない。たぶん、少し温かい話として受け取ってくれている。

同じ「確かめようのない話」を、乱歩は読んだ人が椅子に座れなくなる話に仕立てた。構造が似ていても、そこから先は作家の腕だ。店の椅子の話をいくら重ねても、あの怖さにはならない。


また誰かに「いい椅子だね」と言われたら、たぶん同じ話をすると思う。山小屋のカフェの人が作ったらしい、と。

ただ、『人間椅子』を読んだあとでは、その「らしい」の部分が少しだけ気になっている。

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