オーディブルで乱歩を順番に聴いている。現代ミステリーはほとんど読まないし、ビジネス書はどこかで聞いた話が半分で、あまり面白くない。結局、短い時間で聴ける昔の小説に戻ってくる。乱歩は全作品を読破するつもりでいて、「双生児」は50分足らずで終わるのでちょうどよかった。
途中までは面白かった。オチは少し拍子抜けだった。それでも聴き終えて頭に残ったのは、トリックではなく妻のことだった。
以下、結末に触れる。
「妻は気付かなかった」は誰の言葉か
この小説は、死刑囚の男がひとりで語り続ける告白でできている。双子の兄を殺し、兄になりすまして、その妻と暮らした。妻はかつて自分の恋人だった女だ。
男は、妻は入れ替わりに気付かなかったと言う。夫婦として夜をともにしても、気付かなかったと。
正直、まずそこが引っかかった。そんなことがあるだろうか。ただ、もっと気になったのは、それが男の言葉でしかないことだ。妻本人は、最後まで一度も口を開かない。
だから途中までは、妻は実は気付いていて黙っていた、という展開が来るのだと思っていた。来なかった。
なぜ妻に真実を伝えたいのか
男は最後に、真実を妻に伝えてほしいと願う。これがいまいち分からなかった。
罪を償いたいのなら、それは妻に知らせることとは別の話だ。兄がとうに死んでいたことを、今さら妻が知って何になるのか。
考えられるのは、兄の代わりに妻を愛していたのは自分だった、と知ってほしいということくらいだ。そう読むと、この男は最後まで自分のことしか考えていない。兄を殺し、妻をだまし、死ぬ前には自分の愛を認めてもらうために真実を差し出そうとする。それを聞いた妻がどう感じるかは、たぶん考えていない。
告白の体裁をとってはいるが、これは男が自分を語るための話だと思った。
気付いていたのかもしれない妻
ここからは想像になる。
出来のいい兄は、本当に妻を愛していたのだろうか。作中でそこが丁寧に描かれるわけではない。だからこそ、弟が兄になりすまして妻を抱いたとき、妻はそれが昔の恋人だと気付き、むしろ安心したのではないか、と考えてしまった。
もしそうなら、男が最後に伝えようとする「真実」は、妻にとってはとっくに知っていたことになる。黙っていた妻のほうが、ずっと多くを分かっていたことになる。
もちろん本文にそんなことは一行も書かれていない。ただ、書かれていないからこそ浮かぶ想像だと思う。妻の声が一切ないので、読む側が妻の気持ちを考えるしかなくなる。
映画版と二重人格説

映画版はまだ見ていない。塚本晋也監督の『双生児 -GEMINI-』(1999年)で、本木雅弘が双子の兄弟を演じている。
あらすじを読む限り、原作とはかなり違う。舞台は明治末期の医院で、弟は脚の痣のせいで生まれてすぐ捨てられ、貧民窟で育ったという設定になっている。死刑囚の告白という枠もないようだ。
いちばん違うのは妻だ。映画の妻は、かつて弟が貧民窟で愛した女で、なりすましにも気付く。原作を聴きながら「そういう展開があるのか」と待って、結局何もなかった部分を、映画は正面から描いているらしい。見るなら、そこを確かめたい。
その映画を見た人のレビューで、これは双子ではなく二重人格の話だったのではないか、という読み方を見かけた。
面白い考え方ではある。でも、そこまで行くときりがないので、やめておく。乱歩が文章どおりに受け取ってほしかったのか、もっと深読みしてほしかったのかは、結局分からない。
それに、自分は二重人格という考えを一度も思い浮かべなかった。考えていたのは本文の外に隠された真相ではなく、本文が書かなかった人のほうだった。同じ「深読み」でも、向いている方向が違う。
それでも残る無理と拍子抜け
不満もはっきりある。
夫婦として暮らしていて入れ替わりに気付かない、という前提には、やはり無理がある。ここを妻の沈黙として回収してくれればよかったのだが、原作はそうしない。
指紋の真相も拍子抜けだった。兄の指紋だと思い込んでいたものが、実は自分の指紋だった。乱歩らしいといえばそれまでだが、ここまで引っぱった割には軽い。
結局、乱歩の関心は最後まで男の頭の中にあって、妻は話を動かすための道具立てにとどまっている。映画が妻に気付かせる話に作り変えたと知って、少し腑に落ちた。
まとめ
「双生児」は、トリックを楽しむ話としては少し物足りなかった。指紋のオチは軽く、入れ替わりの前提にも無理がある。
それでも聴いてよかったと思うのは、語り手が妻のことを何も語らなかったからだ。男は自分の罪と自分の愛については長々と話すのに、妻が何を思っていたかには一度も触れない。その空白のせいで、聴き終えてから妻のことばかり考えていた。
映画版では、その妻がなりすましに気付くという。原作が書かなかった部分を、映画はどう描いたのか。今度は映画版を見てみようと思う

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