あらすじ

大学生の南丸洋二、通称ナン丸は、物体に触れずに小さな穴をあける力を持っていた。ある日、歴史民俗学者の丸神教授が、東北の山間部にある丸川町で消息を絶つ。ナン丸は教授の教え子たちと町を訪れ、そこに自分の家系とも関わる秘密が隠されていることを知る。
丸川町には、物体を球状にくり抜く「手がとどく者」と、住民に悪夢を見せる「窓を開いた者」が存在していた。やがて、町で続けられてきた七夕祭りは、千年前に飛来した地球外生命体・カササギを呼び寄せるための儀式だったことが明らかになる。カササギは人間に特殊な能力と悪夢を与え、住民たちを土地に縛りつけていた。

丸神家の当主・頼之は、強大な力で社会を破壊し、カササギのいる世界へ旅立とうとする。ナン丸はその誘いを拒み、幸子をこちら側の世界へ引き戻す。事件の後、頼之によって削られた丸神山の山頂は土を盛って元のような姿に戻され、七夕祭りも再開される。ナン丸は力を使うことをやめ、人々が直接物を交換するフリーマーケットを始める。
山を戻すことは、過去に戻ることなのか
『七夕の国』のラストで印象に残るのは、あれほど大きな事件が起きたにもかかわらず、最後には山が元のような姿へ戻され、七夕祭りまで再開されることだ。
千年にわたって続いてきた里の秘密は明らかになった。カササギは神ではなく、地球外生命体だった。七夕祭りも、神に祈る行事ではなく、宇宙船を誘導するための儀式だった。それなのに、人々は祭りをやめない。
これは、人間が急には変われないということなのだろうか。
確かに、丸神の里には、古くからの掟や習慣に従い続ける保守性がある。どれほど重大な真実を知っても、すぐに生活のすべてを変えることはできない。山が削られれば、土を盛って直す。祭りの季節になれば、例年通り祭りを行う。
人々は、真実を理解し、納得し、人生を作り替えてから生き始めるわけではない。多くの場合、分からないものや解決していないものを抱えたまま、日常へ戻っていく。
丸神山の復旧には、そのような人間社会の現実が表れている。頼之にとって山頂の破壊は、千年続いた歴史を終わらせるための壮大な行為だった。しかし社会にとっては、復旧すべき被害の一つとして処理される。山は削られ、そして土木工事によって戻される。神話的な事件も、日常の側から見れば、修復しなければならない風景の一部に変わってしまう。
ただし、山の形が戻ったからといって、すべてが元に戻ったわけではない。住民たちはカササギの正体を知ってしまった。頼之が去ったことも、能力が人間を破壊していくことも知っている。見た目は以前と同じ山でも、そこを見る人々の目はもう同じではない。
信仰がなくても祭りは残る
七夕祭りについても、住民全員がカササギを本気で信じているとは限らない。
カササギの再来を待っている人もいるだろう。先祖代々の教えだから続ける人もいる。祭りを信仰ではなく、地域の行事として受け止めている人もいるはずだ。子どもたちにとっては、屋台や浴衣を楽しむ夏の行事でしかないかもしれない。
つまり、同じ祭りに参加していても、そこに込めている意味は人によって違う。
祭りは、信仰の強さだけによって続いているのではない。地域の記憶や、共同体の形を維持するためにも続いている。祭りをやめることは、単に一つの行事を失うだけではなく、先祖から続く土地との関係を断ち切ることでもある。そのため、信仰が薄れていても、祭りは残り続ける。
伝統とは、始められたときの意味がそのまま保存されるものではない。長く受け継がれるうちに、意味は少しずつ変化する。それでも形式が残るからこそ、後の世代はそこに新しい意味を重ねることができる。
丸神の里の七夕祭りも、カササギを迎えるための儀式から、地域の歴史を確かめる行事へ変わっていく可能性がある。カササギを信じる人が少なくなったとしても、人々が集まり、灯りをともして祭りを行うなら、そこには別の役割が生まれている。
変わらないことと、変わっていくこと
この作品では、頼之が最も大きな変化を望んだ人物だった。彼は山を消し、里の歴史を断ち切り、人間の世界から離れようとした。しかし、彼の方法は破壊と逃避だった。世界を変えようとした結果、彼は世界から消えていく。
一方、ナン丸は力を使わないことを選ぶ。別世界へ逃げず、幸子をこちら側へ引き戻し、物を消す力とは正反対の、人と人が直接物を交換する活動を始める。そこには大きな革命はない。しかし、誰かと会い、言葉を交わし、手から手へ物を渡すという小さな行為がある。
山を元に戻すことも、祭りを続けることも、頼之のような劇的な変化とは違う。壊れたものを直し、生活を再開し、以前と同じように見える行事を続ける。その中で、人々の意識が少しずつ変わっていく。
人間は急には変われない。しかし、まったく変われないわけでもない。変化は、山を消すような大きな出来事ではなく、山を見る目や、祭りに参加する理由の中に現れるのかもしれない。
丸神山は元のような姿に戻った。七夕祭りも再開された。だが、戻ったのは山の形と祭りの形式だけである。その下には、カササギの正体を知った人々の記憶が残り、頼之が去った後の空白も残っている。
『七夕の国』のラストは、伝統を捨てることだけが変化ではないと語っているように思う。古い形を残しながら、その意味を少しずつ変えていくこともまた、変化である。
カササギを待つ祭りは、いつかカササギを待たない祭りになるかもしれない。それでも人々が集まり続けるなら、その祭りはすでに以前とは別のものへ変わり始めている。

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