前回は、カーボベルデ代表を取り上げた。大西洋に浮かぶ小さな島国が、青いサメとして初めてワールドカップへ向かう物語であった。初出場国には、まだ誰にも書かれていないページがある。試合が始まる前から、その国の名前が世界に届くこと自体に意味がある。
そのカーボベルデと同じグループHに入ったのが、サウジアラビア代表である。
サウジアラビアは、カーボベルデとは対照的に、ワールドカップを何度も経験してきたアジアの常連国である。愛称は「グリーン・ファルコンズ」。緑のユニフォームをまとい、アラビア半島から世界へ羽ばたく代表である。
だが、サウジアラビアという国をワールドカップで語るとき、どうしても思い出す試合がある。
2022年カタール大会、アルゼンチン戦である。
リオネル・メッシを擁し、のちに世界王者となるアルゼンチンを相手に、サウジアラビアは2-1で勝利した。あの試合は、ワールドカップ史に残る大番狂わせのひとつであった。前半に先制されながら、後半にサレハ・アルシェフリ、そしてサレム・アルドサリがゴールを決めた。特にアルドサリの勝ち越しゴールは、右から中へ切れ込み、強烈なシュートを突き刺す見事な一撃であった。
世界中が驚いた。だが、サウジアラビアにとっては、単なる偶然ではなかった。組織的に守り、勇気を持ってラインを上げ、相手を恐れずに戦った。その姿は、グリーン・ファルコンズという愛称にふさわしいものだった。
サウジアラビア代表 基本情報
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 国名 | サウジアラビア王国 |
| 代表チーム | サウジアラビア代表 |
| 愛称 | グリーン・ファルコンズ |
| 大陸連盟 | AFC |
| ワールドカップ出場 | 7回目 |
| ワールドカップ最高成績 | ベスト16(1994年) |
| 監督 | ゲオルギオス・ドニス |
| 注目選手 | サレム・アルドサリ、フェラス・アルブリカン、ムサブ・アルジュワイル、モハメド・アルオワイス など |
| グループHの相手 | スペイン、カーボベルデ、ウルグアイ |
1994年、世界に名を刻んだ初出場
出典:FIFA公式
サウジアラビアが初めてワールドカップに出場したのは、1994年アメリカ大会である。
この大会で、サウジアラビアは世界に強い印象を残した。初出場ながらグループステージを突破し、ベスト16へ進出したのである。これは現在まで、サウジアラビア代表にとってワールドカップ最高成績である。
とりわけ記憶されているのが、ベルギー戦でのサイード・アルオワイランのゴールである。自陣からドリブルで持ち上がり、相手守備を次々とかわして決めた一撃。ワールドカップ史に残る個人技として、今も語られる場面である。
あのゴールには、サウジアラビア代表の原風景のようなものがある。
広いピッチを一人で駆け抜ける。緑のユニフォームが、砂漠を渡る風のように走っていく。世界の強豪に対して、ひるまずに自分たちの瞬間を作る。1994年のサウジアラビアは、アジアのチームもワールドカップで輝けることを示した。
その後、サウジアラビアは何度も本大会に出場した。しかし、1994年を超える成績にはまだ届いていない。ワールドカップに出ることと、そこで勝ち上がることの間には、大きな距離がある。サウジアラビアは、その距離を何度も感じてきた国でもある。
2022年の奇跡と、その後の重み
出典:FIFA公式
2022年カタール大会のアルゼンチン戦勝利は、サウジアラビアサッカーの歴史に新しい一章を加えた。
ただ、その勝利があまりに大きかったため、その後の試合は難しくなった。ポーランド戦、メキシコ戦に敗れ、結局グループステージ突破はならなかった。アルゼンチンを破った国が、決勝トーナメントへ進めなかった。そこにワールドカップの厳しさがある。
一試合の奇跡は起こせる。だが、大会を通して勝ち進むには、別の力が必要になる。再現性、得点力、守備の安定、試合ごとの修正力。強豪を一度倒すことと、グループを突破することは、似ているようでまったく違う。
サウジアラビアは、2026年大会でその問いに向き合うことになる。
あのアルゼンチン戦は、もう過去の栄光である。もちろん、国民にとって忘れられない記憶であり、選手たちにとっても誇りである。しかし、2026年のピッチで必要なのは、あの勝利を語ることではなく、もう一度自分たちの試合を作ることである。
揺れた監督人事とドニス体制
2026年大会へ向かうサウジアラビアの歩みは、決して穏やかではなかった。
2022年のアルゼンチン戦を率いたエルヴェ・ルナールは、一度代表を離れたあと、2024年に再びサウジアラビア代表へ戻った。彼はサウジアラビアサッカーの歴史に残る監督である。あのアルゼンチン戦の勝利を作った人物として、特別な名前になっている。
しかし、本大会を前にしてルナールは退任し、ゲオルギオス・ドニスがチームを率いることになった。大会直前の監督交代は、どの国にとっても難しい。準備期間は限られ、戦術の浸透にも時間が必要になる。
出典:FIFA公式
それでも、ドニスにはサウジアラビアのサッカーを知る強みがある。サウジ国内での指導経験があり、リーグや選手の特徴を理解している。大きな変化を起こすというより、限られた時間の中でチームを整えることが求められるだろう。
サウジアラビア代表の多くは国内リーグでプレーしている。これは弱点にも強みにもなる。海外の強度に触れる機会が限られる一方で、選手同士の関係性や国内クラブでの連係は作りやすい。アルヒラル、アルナスル、アルアハリなど、国内クラブの存在感は大きい。
近年のサウジ・プロリーグは、世界的スター選手の加入によって注目度を高めている。クリスティアーノ・ロナウドをはじめ、多くの外国人選手が加わり、リーグの環境は大きく変化した。代表選手たちも、日常的に高いレベルの選手と対峙する機会を得ている。
ただし、リーグの派手さがそのまま代表の強さになるわけではない。代表チームには、代表チームとしてのまとまりが必要である。2026年のサウジアラビアに問われるのは、国内サッカーの熱気を、代表の勝負強さへ変えられるかどうかである。
サレム・アルドサリという記憶の中心
出典:サッカーダイジェストWeb
現在のサウジアラビア代表を語るうえで、サレム・アルドサリの存在は欠かせない。
2022年のアルゼンチン戦で決勝点を決めた選手であり、サウジアラビアの攻撃における象徴的な存在である。ドリブルで相手を外し、思い切ってシュートを打つ。大舞台で萎縮しない強さを持っている。
ワールドカップでは、ひとりの選手の一瞬が国の記憶になることがある。アルオワイランの1994年ベルギー戦のゴールがそうであったように、アルドサリの2022年アルゼンチン戦のゴールも、長く残る記憶になった。
2026年大会で彼がどこまでチームを引っ張れるかは、サウジアラビアの大きな焦点になる。
一方で、フェラス・アルブリカンやムサブ・アルジュワイルといった選手たちにも期待がかかる。サウジアラビアがグループHで勝ち点を積み上げるには、アルドサリだけに頼るわけにはいかない。前線でボールを収め、少ないチャンスを得点に変え、中盤で試合を落ち着かせる選手が必要である。
ゴールキーパーのモハメド・アル=オワイスも重要である。2022年大会での印象が強い選手であり、守備の時間が長くなる試合では、彼の安定感が試合の行方を左右する可能性がある。
出典:SPREAD
グループHの現実
サウジアラビアが入ったグループHは、簡単ではない。
相手はスペイン、カーボベルデ、ウルグアイである。
スペインは、2010年王者であり、現在もヨーロッパの強豪である。ボールを持たれる時間は長くなるだろう。中盤で主導権を握られ、サイドから押し込まれる展開も考えられる。サウジアラビアにとっては、守備の集中力とカウンターの精度が問われる試合になる。

ウルグアイは、また別の厳しさを持つ国である。南米らしい粘り、球際の強さ、試合を勝負に持ち込む力がある。サウジアラビアにとって、グループ初戦がウルグアイ戦になることは大きい。ここで大きく崩れず、勝ち点を持ち帰ることができれば、流れは変わる。

カーボベルデは初出場国である。だが、侮れる相手ではない。初出場国には勢いがあり、失うものの少なさがある。サウジアラビアにとっては、現実的に勝ち点3を狙いたい相手である一方、最も油断してはいけない相手でもある。

このグループでサウジアラビアが突破を狙うなら、どこかで強豪から勝ち点を奪い、カーボベルデ戦で確実に結果を残す必要がある。スペインやウルグアイを相手に長く守るだけでは難しい。少ない攻撃の場面で、どれだけ思い切れるか。そこにグリーン・ファルコンズの未来がかかっている。
アジアの常連国として
サウジアラビアは、アジアの中でワールドカップ経験の豊富な国である。
日本、韓国、イラン、オーストラリアと並び、アジアサッカーを長く支えてきた存在でもある。中東のサッカーには、独特のリズムがある。技術があり、ボールを持てる選手がいて、熱量の高いサポーターがいる。スタジアムの雰囲気も濃い。
一方で、ワールドカップではヨーロッパや南米の強豪と戦うたびに、強度や継続性の差を突きつけられてきた。アジアの中では強くても、世界の舞台で勝ち上がるにはもう一段階必要になる。
その意味で、サウジアラビアの2026年大会は、単なる出場ではない。1994年以来の決勝トーナメント進出を目指す大会である。2022年のアルゼンチン戦のような一試合の衝撃を、今度はグループ突破という結果につなげられるか。その問いがある。
また、サウジアラビアにとってワールドカップは、2034年大会へ向かう長い道の途中にもある。将来、自国でワールドカップを開催する国として、代表チームの存在感はますます大きくなる。2026年は、その前段階としても重要な大会になるだろう。
砂漠の緑は、もう一度飛べるか
出典:FIFA公式
サウジアラビア代表には、どこか不思議な魅力がある。
圧倒的な優勝候補ではない。毎大会、決勝トーナメントの常連というわけでもない。だが、時に世界の見方を変える一試合をする。1994年のアルオワイランのドリブル、2022年のアルゼンチン戦。そうした瞬間が、サウジアラビアという国をワールドカップの記憶に刻んできた。
2026年大会で、同じような奇跡をもう一度起こせるかはわからない。むしろ、相手は警戒してくるだろう。スペインもウルグアイも、サウジアラビアを「侮ってよい相手」とは見ないはずである。2022年の勝利は、サウジアラビアに自信を与えた一方で、相手から油断を奪った。
だからこそ、2026年のサウジアラビアに必要なのは、奇跡を待つことではない。試合を壊さず、守る時間を耐え、チャンスの場面で勇気を持つこと。そして、あのアルゼンチン戦の記憶を、重荷ではなく力に変えることだ。
グリーン・ファルコンズは、すでに世界を驚かせたことがある。
次に求められるのは、驚きだけではなく、前へ進む結果である。砂漠の緑が、北米の空でもう一度羽ばたけるのか。サウジアラビア代表の2026年は、その静かな問いから始まる。







コメント