見ていた頃、自分はギリギリ10代だった。
1990年から91年にかけて発売されたOVA「ロードス島戦記」を、当時どんな気持ちで見ていたのかを正確には思い出せない。ただ「まあまあ楽しく見ていた」という感触だけが残っている。重厚なファンタジー世界、戦いの連続、英雄たちの死。10代の自分にはそれだけで十分だったのだろう。
……と、きれいにまとめたいところだが、正直に言ってしまうと、ハイエルフのディードリットが目当てだった部分もあったかもしれない。
ディートリット
出典:www.amazon.co.jp
挑発的な物言い、優雅な立ち居振る舞い、そして率直な愛情表現。「かわいい」という言葉では少し足りないが、あの頃の自分が彼女から目を離せなかったのは事実だ。いや、そんなことはない、とは言い切れない。
今回、改めて見返してみた。30年以上の時間をはさんで。
ディードリットは今見てもやはり魅力的だった。パーンという主人公も、純粋な心を持つ青年として、主役の座にふさわしいと思った。ストーリーは確かに重厚で、英雄たちの戦争と死をきちんと描いていた。
だが今の自分が釘付けになったのは、アシュラムとカーラだった。
ざっくりしたあらすじ——ラストまで
舞台は「呪われた島」と呼ばれるロードス。古代の魔法王国が滅んだ後も争いが絶えず、光と闇の力が島全体を揺さぶり続けている。物語は、騎士の父を持ちながらその死によって汚名を背負った青年パーンが、故郷の村を飛び出すところから始まる。
旅の途中で出会うハイエルフのディードリット、魔術師スレイン、神官エトー、ドワーフのギム、盗賊ウッドチャック。この六人が冒険者として行動をともにすることになる。
ロードスを揺るがしているのは、暗黒の島マーモの皇帝ベルドだ。かつて魔神王を倒した英雄の一人でありながら、今は武力でロードスを統一しようとしている。その先鋒を担うのが、黒騎士アシュラム。パーンたちと幾度もぶつかりながら、物語の随所に姿を現す。
さらにロードスには、陰から歴史を操る「灰色の魔女カーラ」という存在がいる。善でも悪でもなく、ロードスの「均衡」を保つことだけを目的として、英雄たちを使い捨て、戦乱を意図的に引き延ばし続けている謎の存在だ。カーラの本体は人間の女性レイリアの額に嵌められた「冠」であり、ギムはそのレイリアを取り戻すために旅を続けていた。
物語中盤で「英雄戦争」が勃発する。ヴァリスとフレイムの連合軍対マーモ軍、全面衝突。戦場の中央ではベルドとヴァリス聖王ファーンが宿命の一騎打ちを演じ、ベルドがファーンを討ち取る。しかし直後、カーラの魔法がベルドを貫く。「一方の完全勝利」は均衡の破綻だからだ。二人の英雄は同時に死に、英雄戦争は決着のないまま幕を閉じる。
戦後、ギムはカーラの本体である冠を外すことに成功し、レイリアは解放される。しかしカーラの魂は今度はウッドチャックの体に乗り移り、姿をくらませた。ギムは命を使い果たし、仲間の前で息を引き取る。
後半は舞台が大きく動く。マーモで実権を握ったアシュラムの傍らで、黒衣の魔導師バグナードが破壊の女神カーディスの復活を企てる。その生贄として目をつけたのが、「最も純潔なエルフ」ディードリットだ。パーンたちは火竜山での魔竜討伐を経てマーモ本島へと渡り、バグナードが待つ暗黒神殿に突入する。
最終決戦。溶岩に消えたはずのアシュラムが神殿に現れ、バグナードと対峙する。バグナードは最後に自ら王錫を破壊して果て、それでもカーディスの復活は止まらない。
ディードリットの命が尽きかけるなか、パーンは力を振り絞ってその魔力を断ち切り、彼女を救い出す。アシュラムは崩壊する神殿の中に消え、再び姿を現すことはなかった。
ロードスに戦いが終わり、パーンはカシュー王から新たな剣を授かる。そしてディードリットと二人、新しい旅へと出発するところで物語は幕を閉じる。
アシュラムこそが、この物語の中心だったのではないか
アシュラムは「敵」として登場する。マーモの黒騎士。暗黒皇帝ベルドに仕え、ロードスを戦乱に巻き込む側の人間だ。パーンにとっての最大の障壁であり、第3話での初対面はまさに圧倒的な実力差を見せつける場面として描かれる。
しかし見ていくうちに気づく。この男は「悪い人間」では全くない。
アシュラムには信念がある。ベルドへの揺るぎない忠義。ダークエルフのピロテースへの、不器用だが確かな信頼。そして「マーモの民のために強いロードスを作る」という、歪んでいるかもしれないが、真剣な目標。彼は強欲でも残酷でもない。ただ、自分の主君と自分の信じる道のために戦っている。
ピロテースという存在について、もう少し書いておきたい。
ダークエルフである彼女は、アシュラムの傍らに常にいる。戦場でも、謀略の場でも、逃げ場のない場面でも。彼女がアシュラムに向ける感情は、主への忠誠というより、もっと個人的で、静かで、深いものだ。
ピロテース
出典:バンダイチャンネル
アシュラムのほうはそれを正面から受け取ろうとせず、いつも少し横を向いている。言葉でなく背中で応える男だ。
この二人の関係が最もよく見える場面が、火竜山だと思う。アシュラムが魔竜の猛攻にさらされたとき、ピロテースは身を挺して彼をかばう。計算でも命令でもない。彼女にとってアシュラムを守ることは、もはや反射のようなものだ。そして二人は崩落する溶岩の中へと消えていく。誰もが死んだと思った。
ところが第12話、アシュラムは一人で生還する。ピロテースの姿はない。彼がどうやって生き延びたのか、ピロテースはどうなったのか、作中では多くを語らない。ただアシュラムは、バグナードの神殿へと一人で乗り込んでくる。その表情に、何かが変わったような気がする。信念はそのままだが、もう守るべき人間がいない男の顔だ。
パーンとディードリットの関係が「一緒に生きていく」物語だとすれば、アシュラムとピロテースは「一人が先に逝く」物語だった。どちらが美しいかという話ではない。ただ、アシュラムの最後の独り歩きが、あれほど重く見えるのは、ピロテースがいなくなった後だからだと今は思う。
第10話、火竜山の崩落でアシュラムとピロテースは溶岩の中へと消える。誰もが死んだと思った。だが第12話、アシュラムは生還し、バグナードの神殿に単身乗り込んでくる。彼が止めようとしたのは破壊の女神カーディスの復活だ。この瞬間、アシュラムは「敵」という枠組みを超える。
そして第13話の最後、崩壊する神殿の中でアシュラムは消える。パーンのようにディードリットを救って生き延びるわけではなく、誰かに倒されるわけでもなく、ただ自分の信念を貫いたまま、静かに幕を閉じる。
パーンは「なりたい自分」を求めて旅した。アシュラムは「信じた道」を最後まで歩いた。
パーンの物語は成長譚だ。半人前の若者が仲間を得て、仲間を失いながら、少しずつ騎士に近づいていく。その軌跡は清潔で、まっすぐで、10代の自分には眩しく映ったはずだ。
だが今の目で見ると、アシュラムのほうが「物語として完結している」と感じる。彼には最初から信念があり、その信念のために戦い続け、最後はその信念の中で消えた。ぶれることがない。悔いを口にしない。弱さを見せない。
アシュラム
出典:x.com
主人公とは、作者がいちばん多くの言葉を費やした人物のことではなく、物語の中でいちばん大きな問いを背負った人物のことだとすれば——アシュラムこそがこの物語の中心だったのではないかと、今は思う。
カーラの「均衡」という思想は、正しいのか
カーラ
出典:インサイド
作中でもっとも理解しにくい存在が、灰色の魔女カーラだ。
彼女はロードスの表舞台に立たない。陰から糸を引き、英雄たちを動かし、戦争を意図的に操作する。善の側にも悪の側にも肩入れしない。彼女の目的はただひとつ——ロードスに「均衡」を保つことだ。
第8話でカーラはパーンたちに語る。かつて魔法王国カストゥールが一方的に世界を支配し、その傲慢さが自滅を招いた。その悲劇を繰り返さないために、自分はロードスの光と闇の釣り合いを守り続けている、と。
つまり彼女にとっては、ロードスが平和になることも、ロードスが誰かに支配されることも、どちらも「均衡の破綻」なのだ。
これは冷酷な思想だ。英雄たちの命も、民の苦しみも、カーラにとっては「均衡を保つためのコスト」でしかない。ファーン王とベルド皇帝、六英雄の生き残りである二人の決闘にカーラが介入し、ベルドを仕留めたのも、「一方の勝利」という均衡の破綻を防ぐためだった。
しかしここで立ち止まって考えると、彼女の論理には一貫性がある。
カーラは利己的ではない。彼女自身は何も求めていない。权力も、財も、復讐も。ただロードスが「どちらかに傾きすぎない世界」であり続けることだけを望んでいる。その意志を貫くために、彼女は何百年もの時間を「額の冠」として生き続けてきた。
正しいのか、と問われたら、正しくないと答えるしかない。人の命をコマとして扱う哲学は、どう言い繕っても正当化できない。
だが、「間違っている」と一言で切り捨てられるかというと、それもできない。
歴史を振り返れば、「均衡」を保つことで戦争を防ぎ、世界の秩序を守ろうとした思想は現実にも存在する。大国間の勢力均衡、冷戦期の核抑止論。それらが正しかったかどうかは今も議論が続いている。カーラの思想はその極端な具体例として、フィクションの中で問いを投げかけている。
30年前の自分には、カーラは「不気味な黒幕」にしか見えなかった。今見ると、彼女はこの物語の中でもっとも重い問いを生きているキャラクターだと思う。
アシュラムとカーラ、この二人が照らすもの
アシュラムとカーラは直接交わることがほとんどない。だが、改めて見ると、この二人には共通の輪郭がある。
どちらも「正しい側」にいない。どちらも自分の信念のために動いている。どちらも、パーンたちの「わかりやすい善」の外側に立っている。そしてどちらも、物語の終わりに消えていく。
パーンとディードリットがロードスの未来へと旅立つラストシーンは美しい。若さと希望に満ちていて、見ていて清々しい。
でも今の自分には、その背後で静かに退場していったアシュラムとカーラの影のほうが、長く残る。
10代の自分が「まあまあ面白い」と感じていたものの正体は、たぶんパーンとディードリットの冒険譚だった。今の自分が「なぜこれほど引っかかるのか」と感じる正体は、アシュラムとカーラが問いかけてくる、答えの出ない問いの重さだったのだと思う。
同じ作品が、見る年齢によってまったく別の顔を見せる。それがこのOVAの、地味だが確かな強度だ。






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