怖いのに見惚れる――『殺し屋の営業術』、鳥井という男について

野宮有『殺し屋の営業術』は、普通に面白かった。

出典:ほんのひきだし


まずそこを、変にひねらず書いておきたい。設定の勝利、と言ってしまえばそれまでだが、営業成績トップの男・鳥井が、殺人現場に居合わせたことをきっかけに、殺人請負会社の営業を担うことになる、という導入だけでも十分に強い。しかも、その突飛な話が「営業」という妙に現実的な技術で回っていくから、ただの悪ふざけで終わらない。

公式紹介でも、鳥井は“契約成立のためには手段を選ばない凄腕営業マン”として描かれ、その能力が「命がけの営業」に流れ込んでいく。荒唐無稽なのに、変に納得してしまう。そこがこの小説のうまさだ。

でも、読み終えて残った感覚をもう少し正直に言えば、面白かった理由はたぶんそれだけではない。
鳥井の裏世界での生き方を、こちらがどこかで「かっこいい」と思ってしまっているからだろう。

これは少し嫌な言い方かもしれないが、たぶん本当だ。


殺し屋の世界そのものに憧れているわけではない。そんなものに憧れるほど、こちらも若くはない。だが、鳥井のように、自分の能力だけを武器にして、極端な状況でも場を支配し、生き延び、しかも勝っていく人間には、どうしたって見惚れるところがある。

正しいからではない。健全だからでもない。ただ、鮮やかなのである。世の中には、道徳より先に「うまい」と思ってしまう瞬間があるが、この小説にはそれがある。

その一方で、僕はまず鳥井のような人間ではない。
性格の話ではなく、能力の面でそう思う。何でもできる人間ではないし、欲しいものはまだまだたくさんある。退屈もしていない。だから、あえて危険に身を晒すような場所に行きたいとも思わないし、そんなところに生き甲斐を感じるとも、おそらく思えない。まあ、入ってみないとわからないけれど、少なくとも現時点では、危険を求めている人間ではない。

だからこそ、鳥井に惹かれるのだと思う。
似ているからではなく、むしろ遠いからだ。自分にはない切れ味、自分にはない胆力、自分にはない適応の仕方を、小説の中で見ている。読者が主人公に感情移入するとは限らない。自分と違うからこそ、見ていたい人物というのはいる。鳥井は、たぶんそういう種類の主人公だ。

もっと言えば、鳥井の魅力は「有能さ」だけではない。
あの男には、どこか空虚さがある。人生が壊れていたわけではない。でも、うまく回っていたからといって、それで満たされていたわけでもない。

何でもできる人間は、ときどき何も欲しくなくなる。欲しいものがあっても、わりと簡単に手に入ってしまうからだ。金がないうちは、欲望は切実だ。だが、金があって、それを満たす手段もあって、能力まであるとなると、欲望は案外すぐ消耗する。満たされると、欲求そのものがしぼんでいく。鳥井には、その種類の乾きがあるように見えた。

著者インタビューでも、鳥井は超一流の営業スキルを持ちながら、心に「空虚さ」を抱えた人物として語られている。

この空虚さがあるから、鳥井が裏社会で活き活きして見えるのは、かなり皮肉だ。
普通の会社員として優秀であることには、もう彼の心を動かすだけの刺激がない。だが、命がかかっている。失敗したら終わる。相手も一筋縄ではいかない。そういう場所に置かれて、ようやく自分の能力が本当の意味で試される。

そうなると、人は生き返ったように見えることがある。もちろん、それは健全な話ではない。けれど、小説としては実に面白い。能力の高い人間が、まともな世界ではなく、まともではない世界でこそ本領を発揮してしまう。そのねじれが、この作品のエンジンになっている。

そして、いちばん印象に残ったのは、やはりラストの鳥井だった。
あの冷血さは、かなり怖い。にもかかわらず、不快ではなかった。そこが不思議だったし、この小説をただの娯楽で終わらせないところでもあった。

なぜ不快ではないのか。
しばらく考えて、思い当たったのが『半沢直樹』だった。

やられたらやり返す。


本当に、あの感じである。

もちろん鳥井は半沢直樹ではない。正義の執行人でもないし、胸を張って応援できる人物でもない。けれど、見ているこちらに「そこまで行ったなら、最後までやれ」と思わせる力がある。

人はただ残酷なものを見たいわけではない。理不尽に押し込められていたものが、最後に反転して返っていく、その瞬間に快感を覚える。鳥井のラストが不快ではないのは、彼の冷酷さが、ただの無差別な悪意としてではなく、蓄積された圧力に対する応答として見えるからだろう。

しかも鳥井は、感情で暴走するタイプではない。
そこがまた怖い。怒りに任せて手を出すのではなく、冷静に計算して、理解したうえで、必要な一手を打つ。冷たい。だが、その冷たさには筋が通っている。だから読者は嫌悪より先に、納得を覚えてしまう。たぶん私たちは、鳥井の非情さそれ自体よりも、そこまで行かせた世界の歪みのほうを先に見ている。だから「怖い」と思いながらも、「でも、わかる」と感じてしまうのだ。

この小説の面白さは、倫理の外側に出ていくことではなく、倫理の外側に出ていく人物を、思いのほか魅力的に見せてしまうところにある。
そして、その魅力に読者自身が少し戸惑うところにある。自分は鳥井ではない。欲しいものはまだあるし、退屈しているわけでもない。わざわざ危険に飛び込みたいとも思わない。にもかかわらず、鳥井の生き方に、どこか「かっこいい」と感じてしまう。そこに、この作品の危うい魔力がある。

読んでいるあいだ、頭のどこかで「もしドラマ化するなら」と考えてしまったのも、そのせいだろう。
鳥井には堺雅人が浮かんだ。少し年齢を重ねた堺雅人。愛想よく喋れるのに、ふとした瞬間に目が冷える人。ラストのあの冷血さを、ただ嫌な顔ではなく、理屈の通った怖さとして見せられる俳優である。そう考えたとき、『半沢直樹』を思い出したのも、たぶん偶然ではない。

結局、『殺し屋の営業術』が面白いのは、殺し屋の話だからではない。
鳥井という、こちらとは違う能力を持った男が、こちらとは違う世界で、自分の輪郭をはっきりさせていくからだ。しかもその果てに見せる怖さが、なぜか不快にはならない。むしろ少し、見事だとすら思ってしまう。
それはたぶん、彼の生き方が正しいからではない。鮮やかだからだ。
そして人は、ときどき正しさより先に、鮮やかさに心を奪われる。

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