猫が正しく、原作者が「イマイチ」と言い、それでも6作作られた理由——『三毛猫ホームズ』土曜ワイド劇場版の奇妙な正しさ

赤川次郎はテレビ朝日版『三毛猫ホームズ』シリーズについて、「どれも出来はイマイチだった」と評している。

原作者本人の言葉だ。これほど明快な否定もない。それなのに、1979年の第1作から1984年の第6作まで、石立鉄男と坂口良子のコンビによる作品は6本が製作され、長く再放送され、CS放送の時代になっても繰り返し編成された。原作者が「イマイチ」と言ったものが、なぜここまで生き延びたのか。

その答えは、おそらく「ホームズ」という名の三毛猫にある。そして、その猫を取り巻いた二人の俳優の、理屈では説明のつかない「正しさ」にある。


「感情を持たない論理」だけが真実を見る

三毛猫ホームズが名探偵として機能するのは、彼女が人語を持たないからである。

人間の探偵は嘘をつく。感情に流される。利害を持つ。シャーロック・ホームズも金田一耕助も、その卓越した推理の裏に、どこか人間くさい執着や偏愛を抱えている。だが、三毛猫ホームズにはそれがない。マッチ箱にじゃれながら、彼女はただ「事実の形」を示す。クレーンで持ち上げられたプレハブ食堂という密室トリックの真相を、彼女は言葉ではなく行動で——おそらく本人も無自覚に——開示してしまう。

この構造は、推理小説における「名探偵」の条件を静かに問い直している。

真実を見抜くために必要なのは、高い知性ではなく、感情から自由であることなのではないか。人間が「見たくないもの」から目を背けるとき、猫はただそこにある事実の輪郭をなぞる。ホームズが名探偵である理由は、賢いからではなく、嘘をつけないからだ。


原作者が「イマイチ」と言った、その正体

出典:オリコンニュース(ORICON NEWS)

では赤川次郎が不満を抱いたのは何か。

原作第1弾における吉塚雪子は、学部長の愛人にして売春組織の黒幕であり、最終的に警察署から身投げして死ぬ。鮮やかに反転する悪役である。テレビ版はこれを根本から変えた。雪子を片山義太郎の「恋人」に書き換え、善良な女子大生として生き続けさせた。

原作者の不満は、おそらくここにある。緻密に設計されたキャラクターの「毒」が抜かれたことへの落胆だろう。

しかし、この「毒抜き」がなければ、シリーズは続かなかった。

坂口良子が生き続けることで、石立鉄男との間に恋愛の機微が積み重なり、視聴者は次の作品を待った。物語の「正確さ」を犠牲にすることで、物語の「温度」が生まれた。原作者が「イマイチ」と感じたその改変こそが、6本という長寿の原動力だったという逆説がここにある。


坂口良子という「癒し」の精度

出典:X

坂口良子について、個人的な話を少し書く。

子供の頃にこのドラマを見た時、彼女はとにかく「すごく年上のお姉さん」だった。スクリーンの向こうの存在という感覚があった。だが、今あらためて見ると、驚くほどかわいらしい。

市川崑の金田一シリーズには、草笛光子や司葉子のような、美しく謎めいた「影のある女性」が多く登場する。ああいう役どころとは違う。坂口良子が体現していたのは、もっと日常の質感に近い明るさだ。コミカルな場面でもわざとらしくなく、感情が高ぶる場面でも重くなりすぎない。彼女がいるシーンには、空気が一段やわらかくなるような作用があった。

「犬神家の一族」1976年
出典:x.com

それは「癒し」という言葉で括れるが、実際にはもっと技術的なことだと思う。石立鉄男のコミカルな弱さを受け止めながら、物語が沈まないように支える。その匙加減が、ほとんど完璧だった。


石立鉄男を、大人になってから見直すということ

出典:X

石立鉄男については、正直なことを言う。

子供の頃の印象は「ちょっと面白いおじさん」だった。血を見て倒れ、女性に近づけず、上司にへこへこする刑事。ギャグの担い手として認識していた。

だが今見ると、かっこいいのだ。これは純粋な驚きだった。

何がかっこいいのか。強さではない。むしろその逆だ。弱さを、彼は隠さない。恥ずかしがりもしない。情けない自分を引き受けたまま、それでも現場に向かう。女性恐怖症なのに、雪子の前だけは緊張しない——そのさりげない描写ひとつに、人間としての誠実さが滲む。

子供にはそれが「間抜け」に見え、大人になると「誠実」に見える。同じ演技が、見る側の成熟によってまったく異なる像を結ぶ。これは俳優としての稀有な資質だと思う。


「イマイチ」の中に宿ったもの

原作者が「イマイチ」と言ったドラマが6作続いた。

その理由は、ホームズが真実を見る目を持ち、坂口良子が場の温度を保ち、石立鉄男が弱さを武器に変えたからだ。原作の「毒」は失われたが、代わりに「温度」が生まれた。どちらが正しいかではなく、どちらが当時の土曜の夜に求められていたか——答えは視聴率と6作という数字が示している。

そして今、あの画面を見返すたびに思う。

猫は正しかった。そして二人の俳優は、正しい場所にいた。

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