焼け跡から始まる物語
「にぎり飯」は、昭和二十年三月九日夜半——東京大空襲の翌朝から始まる短篇小説である。荷風がこの作品を書いたのは、自らも戦火のなかを生き延びた経験を持つ晩年期のことである。
主人公は深川古石場町で荒物屋を営む佐藤という中年の男。警防団員として地元を守っていた彼は、空襲の夜に火の海のなかを逃げ延び、ようやく葛西橋のそばにたどり着く。しかしそこで彼が気づくのは、逃げる途中に女房と赤ん坊とはぐれてしまったということである。
焼け野原に降りそそぐ朝日のなか、佐藤は放水路の堤防の草の色と水の流れを見て、初めて「生命拾いをした」と実感する。荷風はここに、生と死が紙一重で隣り合う状況を静かに描いている。
炊き出しの握り飯という「縁」
物語のタイトルにもなっている「握り飯」が登場するのは、避難者でごった返す葛西橋のたもとでのことだ。
堤防の上から「炊出しがありますから町会まで取りに来て下さアい」という呼び声が聞こえ、佐藤は見知らぬ若いおかみさん(後に千代子とわかる)とともに、その握り飯を受け取って食べる。
「あの時のおむすびはどうでした。あの時だから食べられたんですぜ。玄米の生炊で、おまけにぢやり/\砂が入つてゐる。驚きましたね。」——永井荷風「にぎり飯」より
後の場面で佐藤がこう言うように、その握り飯は玄米の半生炊きで、砂まで混じった粗末なものだった。ふだんなら口にするのをためらうような代物である。しかしそれでも二人は、死と隣り合わせの朝に、同じ握り飯を肩を並べて食べた。
この「一緒に食べた」という出来事が、佐藤と千代子をつなぐ最初の糸となる。荷風はこの粗末な握り飯を、単なる空腹を満たすものとしてではなく、人と人の縁を結ぶものとして描いている。
二人の再会——焼け跡の春
物語は一気に季節を飛ばし、市川や国府台のあたりで若葉が青くなり、桜が散り終わるころへと移る。焼け出された佐藤は市川の知人の家に身を寄せ、竹細工の手伝いをしながら笊や箒を売り歩いていた。
そんなある日、省線(現在のJR)浅草橋駅の近くで、佐藤はかつて葛西橋で一緒に握り飯を食べた千代子と偶然再会する。
佐藤が声をかけると、千代子は「あら。あの時はいろ/\お世話さまになりました」と振り返る。そのとき佐藤が目にするのは、葛西橋の朝とは別人のように生き生きとした千代子の姿だ。年は二十二、三。仕立て直しのモンペ姿でも清潔感があり、縮れ髪が垂れかかる細い顔に、こぼれるような愛嬌がある。
荷風はこのとき、佐藤の目を通して千代子の容姿を丁寧に描写している。それは単なる外見の描写ではなく、「生きている」人間の輝きを描こうとしているように読める。焼け跡の春に、二人はまた出会った。
一緒に売り歩き、また一緒に食べる
二人は連れ立って、焼け残った町々を売り歩くことにする。千代子は飴や野菜を、佐藤は笊と箒を。時候もよく天気もよく、案外よく売れた。
そして上野の山下にさしかかったころ、二人は停車場前の石段に腰をかけ、携帯の弁当包を広げて、また一緒に握り飯を食べ始めるのである。
おかみさんはいかゞですと、小女子魚の佃煮を佐藤に分けてやると、佐藤は豆の煮たのを返礼にした。——永井荷風「にぎり飯」より
小女子魚(こうなご)の佃煮と豆の煮付け。粗末ながらも手作りのおかずを分け合う場面は、二人の間に自然な親しみが生まれていることを静かに示している。
そしてこの食事のさなか、佐藤は胸の内にあった思いを口にする。
「佐藤は女房子供をなくしてから今日が日まで、こんなに面白く話をしながら物を食つたことは一度もなかつたと思ふと、無暗に嬉しくてたまらない心持になつた。」——永井荷風「にぎり飯」より
この一文に、荷風の書きたかったことがぎゅっと込められているように思う。佐藤は家族を失い、悲しみと疲れの中を生きてきた。それがこの日、千代子と話しながら物を食べているうちに、無性に嬉しくなってしまう。「無暗に嬉しい」というのが、荷風らしい正直な表現である。理屈ではなく、ただ嬉しい。それだけのことが、この短篇の核心である。
プロポーズは握り飯を食べながら
その場で佐藤は千代子に、こんなふうに語りかける。
「あの朝一ツしよに炊出しをたべたのが、不思議な縁だつたといふ気がしませんか。」——永井荷風「にぎり飯」より
そして「どうです、わたしと一ツしよになつて見ませんか」と口説きはじめる。プロポーズの場所が停車場前の石段で、しかも握り飯を食べているさなか——という状況が、この作品の持ち味である。ロマンチックとはとても言えない。しかし、だからこそ嘘がない。
千代子は驚いた様子も、困った様子もなく、口元に愛嬌を湛えながら佐藤の言葉を聞いている。そして「早く片がついてくれなくちゃ仕様がありません」と戦争の終わりへの思いを混ぜながら、はっきりとは言わないものの、拒絶もしない。
荷風は二人がくっつく瞬間を、感傷的には描かない。「いきなり佐藤は千代子の手を握ると、千代子は別に引張られたわけでもないのに、自分から佐藤の膝の上に身を寄せかけた」——それだけである。しかしこの短い描写の中に、二人が互いを必要としていることが、言葉よりもずっと伝わってくる。
前夫の登場と、荷風の描く「現実」
終戦後、二人はおでん屋の屋台を出して生活を立て直す。物語はここで思わぬ展開を見せる。ある夜の店に現れた客の男が、千代子の死んだはずの夫だったのである。
しかも男は、見るからに闇屋風で、パンパン(戦後の売春婦)とおぼしき女を連れていた。千代子と前夫は目が合っても、互いに何も言わず、男はそそくさと店を出て行く。
千代子が震えながら「生きてるんだわ」と告げる場面は、この作品で唯一緊張感が高まる瞬間だ。しかし佐藤は動じない。「かうなつたらお前の心一ツだよ」と言い、千代子の意思を確かめ、きちんと話して断ると言い切る。
そしてその男は二度と現れなかった。後に佐藤が調べると、前夫は亀戸で「パン屋」、つまりパンパンを囲う商売をしていることがわかった。千代子はあっさりと「亀戸にや前々から引掛りがあつたらしいのよ」と言う——前夫の素行の悪さは、戦前からのことだったのだ。
荷風はここで道徳的な裁きを一切下さない。ただ事実を淡々と描くだけである。千代子は翌日、焼きもちをやくでもなく、法華経寺へお礼参りに出かけた——という一行で物語は静かに幕を閉じる。
「にぎり飯」が象徴するもの
この短篇において、握り飯は単なる食べ物ではない。
最初の握り飯——空襲の朝の炊き出し——は、死の縁から逃れてきた二人が初めて「同じ場所で、同じものを食べた」瞬間である。粗末で、砂まじりで、ふだんなら見向きもしないような代物。しかしそれが命をつないだ。そして二人をつないだ。
二度目の握り飯——上野の石段での弁当——は、二人が互いに必要な存在であることを確認する場面として描かれている。「こんなに面白く話しながら食べたことはなかった」という佐藤の内心こそが、この作品の核心である。
荷風は派手な愛の言葉を使わない。感動的な再会劇も描かない。ただ二人が並んで握り飯を食べ、おかずを分け合い、話をしている——その日常のひとコマの中に、人と人が寄り添う温もりを静かに込めている。
荷風六十代の眼差し
永井荷風がこの作品を書いたのは、戦後まもなくのことである。「にぎり飯」の発表時期については諸説あるが、荷風自身も戦時中に家を焼かれ、疎開先を転々とした経験を持つ。焼け跡の東京を生き延びた者として、彼は佐藤と千代子の物語を書いた。
荷風が描くのは、英雄でも悲劇の主人公でもない。荒物屋の佐藤と、洗濯屋をしていた千代子という、どこにでもいるような市井の人間である。彼らは戦争に翻弄され、家族を失い、それでも生きていく。その「それでも生きていく」という部分を、荷風は過剰に美化せず、過剰に悲しまず、ただ静かに書いた。
晩年の荷風には、そういう眼差しが宿っていた。人間の業や欲をも含めて、ただ見つめる——その姿勢が、「にぎり飯」という短くて滋味のある作品を生んだのだと思う。
まとめ
「にぎり飯」は、東京大空襲の翌朝から始まる、ある男と女の縁の物語である。
砂まじりの粗末な炊き出しの握り飯が、佐藤と千代子という二人の出会いの場となった。その後の再会、売り歩き、弁当を並んで食べる場面、プロポーズ、前夫の出現と消滅——物語はすべて、淡々とした筆致で描かれる。
しかしその淡々とした言葉の奥に、「人は誰かと一緒に飯を食うことで生きていける」という、荷風の静かな確信が見える気がする。戦争があっても、焼け跡になっても、握り飯一つが人と人をつなぐ。それがこの短篇の、静かで確かなテーマであると思う。

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