正しいことを言う前に、少し立ち止まる夜

先日、同級生から店の周年祝いのメールをもらった。
(3月11日で18周年!🎉)


ただ、その文面が少しおかしかった。祝いの言葉ではあるのだが、どこか落ち着かず、普段の調子とも違っていた。気になって、こちらから電話をしてみた。

すると、受話器の向こうで彼女は泣いていた。
「もう気が狂いそうなんよ・・・もう無理・・・」

その声を聞いた瞬間、これはいつもの愚痴とは違うのだと思った。

彼女はシングルマザーである。毎日本業と副業を掛け持ちして働いている。若い頃から知っている同級生だが、ここ数年は店に来ても、たいてい疲れた顔をしていた。昔は仕事の愚痴が多かった。けれど、娘さんが大きくなるにつれて、その話の中心は少しずつ娘さんのことへと変わっていった。

その娘さんのことも、小学校の頃から知っている。
だからこそ、今回の話は余計に簡単に割り切れない。

子どもの頃から、勉強はそれなりにできる子だったと思う。頭が悪いとか、不器用で何もできないという印象ではない。けれど一方で、家のことをよく手伝う子だったかと言われると、私の記憶ではそうではない。何かを食べていたり、ゲームをしていたり、スマホを見ていたり、いつも自分の世界にいるような感じがあった。

昔、その同級生が引っ越しをしたとき、「男手が欲しいから手伝って」と言われて、私も手伝いに行ったことがある。私はその時のことを妙によく覚えている。母親は必死に動いていたのに、娘さんはほとんど何もしなかった。ただ、ぼんやりしていて、「お腹が減った!!」と言うので、何かを買いに連れて行った記憶がある。その時、私は同級生に「娘にも手伝わせろ!」と少しキツめに言った覚えがある。

たった一場面だけで人を決めつけることはできない。
それでも、人の印象というのは、そういう小さな記憶の積み重ねでできていく。

だから今回、彼女から娘さんのことで泣きながら相談を受けたとき、私はまったくの白紙では聞けなかった。昔からどこかにあった「この子は自分のことは優先するが、周囲の苦労には鈍いのではないか」という印象が、頭のどこかに残っていたからである。

電話で聞いた話は重かった。


娘さんは大学の卒業試験のようなものに落ち、留年したという。それも一度ではない。もう三年も繰り返しているらしい。やりたい仕事があり、そのための大学に行っているそうだが、母親から見れば、その仕事に本気で向き合っているようには見えない。学校には行っているらしいが、帰ってきたらスマホを見たり、テレビを見たり、ゲームをしたりしている。必死に食らいついている様子が感じられない、というのである。

そしてその母親は、娘の学費を払うために、本業と副業を掛け持ちしている。


以前、彼女は私に、黒い便が出たことを打ち明けてくれたことがある。だが病院には行っていない。もし病気が見つかって入院でもすることになれば、治療費がかかる。その間は働けず、収入も減る。そうなれば娘の学費が払えなくなる。だから行けないのだと言っていた。

その話を、娘さんは知らない。(おそらく・・・)

ここまで聞いてしまうと、さすがに胸が苦しくなる。
母親がどれだけ無理をしているか、私は多少なりとも見てきた。だから、ただ「親が口うるさいだけ」とは思えない。実際、彼女からは「私が言っても聞かないから、言ってほしい」とも頼まれた。

だが、そこから先が難しい。

私は親ではない。
子どももいない。
しかも、他人の子を真正面から叱れるほど立派な人間でもない。

正直に言えば、その同級生の話を、私はいつも真正面から受け止めてきたわけでもない。毎回のように愚痴を聞かされるものだから、軽くあしらっていたこともある。少し距離を取っていた時期もある。そういう自分が急に「では私が娘さんに言いましょう」と乗り出すのも、どこか違う気がするのである。

そんなことを考えていた時、以前から知っていた大愚和尚の動画を思い出した。
試験に落ちた若い男性が、そのつらさを母親に話したところ、冷たい言葉を返され、「これは毒親なのか」と相談する内容だった。

和尚の答えは厳しい。
母親の言葉だけを取り出して「ひどい親だ」と決めつける前に、そこへ至るまでの自分の姿勢や努力を見直せ、と言う。二十代にもなって、苦しい時だけ子どものように親に受け止めてもらおうとする、その甘えを断ち切れという話である。

今回の話は、もちろんまったく同じではない。
けれど、あの動画を思い出したのは確かだった。

親から見れば、子どもがどこまで本気なのかは、案外よく見えているのかもしれない。外では頑張っているように見せても、家でどうしているか、何に時間を使い、どんな姿勢で日々を過ごしているかを、いちばん近くで見ているのは親である。だからこそ、ただの失敗に腹を立てているのではなく、「本気でやっているように見えないこと」に怒りや絶望が向くのだろう。

私自身も、昔から見てきた印象として、娘さんにそういう部分がまったく無かったとは思えない。
やりたい仕事はあるのだろう。
大学へ通おうという気持ちもあるのだろう。
けれど、それに人生を懸けるほどの本気があるのかと言われると、少なくとも外から見た限りでは、首をかしげたくなる。

ただ、それでも私は、この正論をそのまま娘さんにぶつけることにはためらいがある。

動画の中では、相談者本人に厳しい言葉が返される。
あれは当事者に向けた言葉だから成立する。
だが私は当事者ではない。親でもなければ、長年その娘さんと真正面から向き合ってきたわけでもない。その立場の人間が「あなたは甘えている」「お母さんの苦労を知れ」と言ったところで、それは届く前に反発に変わる気がする。

正しいことを言えば、物事が良くなるとは限らない。
むしろ人間関係では、正しい言葉ほど刃物になりやすい。

年を重ねると、それがよく分かる。
若い頃は、筋の通ったことを言えば相手も分かるだろうと思っていた。だが現実には、何を言うか以上に、誰が言うか、どの距離から言うかのほうが問われる。正論には資格がいる、とまでは言わないが、少なくとも立ち位置はいる。

私は何者なのか。
頼まれたから言うのか。
見ていられないから言うのか。
それとも、自分が正しい側に立ちたいから言うのか。

そこが曖昧なままでは、どんな正しい言葉も薄っぺらくなる。

親が苦しんでいることは、たぶん本当だ。
娘がその重さを十分に分かっていないように見えるのも、たぶん本当なのだろう。
だが、その二つが本当であることと、私がその親子の間に入って何かを言うべきかどうかは、また別の問題である。

人の家庭の悩みというのは、外から見える以上に複雑だ。
長く愚痴を聞いてきたからといって、その家の内側を分かった気になるのは危うい。まして親子の問題は、正論一つで片づくほど単純ではない。

それでも今回のことで、ひとつだけははっきりした。
自立とか甘えとか、そういう言葉はたしかに大事だが、それを他人に向けて口にする前に、まず自分の立っている場所を確かめなければならない、ということである。

甘えを断ち切れ、と言うのは簡単だ。
けれど、その言葉を誰が、どの距離から言うのか。
そこまで考えて初めて、大人の言葉になるのだと思う。

ボクは・・・まだまだ未熟だ!

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